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【新著連載】Q26.自信のあるアイデアなのにうまく伝わらない

投稿日時:2013/06/19(水) 09:49rss

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q.自信のあるアイデアなのにうまく伝わらない

→A.「天の時、地の利、人の和」を熟成させよ

 起業家は、単にアイデアを思いつく人ではありません。ひらめきだけでは、成功できないことを良く知っているのです。アイデアを「天の時、地の利、人の和」を満たすまで熟成させ、戦略にまで昇華させる「粘り強い知情意の力」を兼ね備えています。
 達人たちは、どうやって、天の時、地の利、人の和を満たしていくのでしょうか?

●ロックな教授の出会い

 これまで私が出会って来た中で、最も先を見通した賢人は、慶應義塾大学経済学部時代のゼミの恩師、平野 絢子先生でした。平野先生のご専攻は「中国の経済改革」。日本の中国通の多くが、「毛沢東の文化大革命」を礼賛している時に、その問題点と進むべき経済の対内外解放政策を訴え続けていました。だからこそ、1978年に中国の大きな路線転換、現在の経済改革が始まった時に、人民日報の第一回の日本人留学生として招聘されたのです。そして、多くの人が中国の行方に懐疑的な中で、現在見られるような経済発展を予見されました。
 
 しかし、多くの中国と縁がある日本人のように中国べったりにはなりません。先生は、土地利用権や株式の売買と一人っ子政策の大きな弊害も指摘され、予言通り、その副作用が中国を揺るがそうとしているのです。そして、平野先生は、慶應大学を退官された後は、作新学院大学院のビジネススクールの新設に参画されて、「企業の集権と分権の最適化」を新テーマに取り組まれました。

●「天の時」=波が目の前に来るまで乗ってはいけない

 天の時を知る大切さについて、平野先生は、いつも「サーフィン」を例に話されました。「波をいちはやく見つけても、波が目の前に来るまで乗ってはいけない」と、私たちに釘を刺したのです。それは、先生のご経験に基づく考えだと、今は判ります。

 文化大革命で熱狂していた中国国内はもちろん、日本でも、平野先生の「中国の経済改革と発展戦略」のアイディアに耳を傾ける人は少なかったそうです。それどころか「無記名の郵便が届いて、カミソリが入っていた」ことさえあったそうです。きっと、平野先生が、マルクス主義経済学の教授で、父君が日本共産党創設の三大ブレインの一人でありながら、「反共産党、反文化大革命」を唱えた異端だったからでしょう。

 しかし、平野先生は嘲笑にも脅迫にも負けず、自分の意見を変えることはありませんでした。ひたすら孤独な研究を続けて、自分のアイディアを熟成させていきました。そして、50歳を過ぎた時に、中国で経済改革が始まり、まさに当事者から平野先生に白羽の矢が立ったのです。先生が、還暦のパーティの時に「自分が考えてきたことが正しかった。これからが私の青春だ」と高らかに話されたことが忘れられません。

●「地の利」=自分の分野の最先端を理解する

 それから、地の利を活かす大切さも、平野先生から学びました。ご存知のように、中国の国務院は、日本の経済発展戦略に学び、そのメリットとデメリットを、日本の官僚以上に研究しています。ですから、マルクス主義経済学だけでなく、日本経済の最先端も同時に理解する人財が必要だったのでしょう。だから平野先生だったのです。

 平野先生は、ありがちな学者=理論至上主義で「ヨコをタテにする=外国の原典をありがたく日本語にするだけ」ではありませんでした。例えば、コンピュータとネットワークの進化に着目し「完全な計画は完全な市場に一致する」と看破したのです。コンビニチェーンが使い始めたPOSシステムが経済全体に行き渡り、原材料の必要量まで推計できるようになった時に、初めて計画経済が可能になると予見しました。瞬時に巨額の資金を動かせる金融機関の「新人類ディーラー」にも着目していました。さらに、お金に頓着しない人が金融を動かす公益経済の始まりも予言されたのです。
 つまり、経済学者に珍しい徹底的な現場主義で、一見すると無関係な新事象を見つめ、独自の理論を構築して未来を予見しました。その上で、あるべき姿を提言するのです。

●「人の和」=未来を見通す達人とご縁を結ぶ

 さらに、人の和でも、平野先生をとりまくご縁の力は飛び抜けていました。多くの保守的な人たちからは冷遇されていたかもしれませんが、未来を見通す達人たちとの特別なご縁に恵まれていました。それは先生の不断の努力の賜物だったと思います。
 
 平野先生は、幼少期、恵まれた令嬢が通う聖心女子大学の付属校に通われましたが、学問の道を志して、東京女子大学に移られ、やがて、慶応義塾大学の経済学部で初の女性教授になりました。福沢諭吉先生が「男女同権」思想だったので教授になれたとおっしゃっていましたが、普通なら、そのまま安楽な道を歩むこともできたはずです。苦学をして、男性以上に恩師に認められなければ、教授にはなれなかったでしょう。
 
 先生はもともと東欧の研究家でしたが、第二次世界大戦後、中国で革命が起きた後、旧中国銀行の副頭取から「これからの中国を見守って欲しい」と請われて、研究対象を変えたのです。「エルベ川を初めて見た時に涙が出た」というほど思い入れがあったはずなのに、ご縁に導かれた大義で、新しい厳しい道を歩まれたのです。そして、耐え忍びながら中国の経済改革についての研究を深めて、晩年に中国から招聘されます。留学中も理不尽な体験をされたようですが、中国の国務院で何人かの「大人(たいじん)」に出会い、さらに研究を深められます。人の和でライフワークを築かれたのです。
 
 そして、大学退官後に、中国経済の研究者ながら、ビジネススクール新設への参画を求められたのも、先生の生き様を見ていた大学関係者とのご縁だったそうです。
 
 平野先生の教え子は、国会議員、学者、ジャーナリスト、経営者など各界で活躍しています。今も私の耳には「あなたが言いたいことを一言で言うと?」「なぜ?」という平野先生の問いかけが聞こえてきます。先生は、きっとご自身にも同じ問いかけを繰り返して、逆境の中でもアイディアを熟成させたのでしょう。「天の時、地の利、人の和」を大切にした独創的な生き方を、一人でも多くの若者に伝えていきたいのです。

A.「天の時、地の利、人の和」を熟成させよ

ボードメンバープロフィール

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くめ のぶゆき氏

久米信行(くめ・のぶゆき)

1963年東京下町生まれのTシャツメーカー三代目。

慶應義塾大学経済学部卒業後、87年、イマジニア株式会社に入社。ファミコンゲームソフトのゲームデザイナー兼飛び込み営業を担当する。
88年に日興證券株式会社に転職し、資金運用・相続診断システムの企画開発、ファイナンシャル・プランナー研修で活躍。
94年に家業である久米繊維工業株式会社の代表取締役に就任。

日本でこそ創りえるTシャツを目指し、グリーン電力とオーガニックコットンを生かす環境品質と、
クリエイターとJapanCoolを共創する文化品質を追求。
個人的なTシャツコレクションも数千枚に及び、全国のTシャツアート展・ワークショップ・エコイベントを支援する。

明治大学商学部「ベンチャービジネス論/起業プランニング論」講師。NPO法人CANPANセンター理事。東京商工会議所墨田支部IT分科会長。社団法人墨田区観光協会理事。

著書に、10万部を突破した『考えすぎて動けない人のための「すぐやる!」技術』(日本実業出版社)、
Amazonでビジネス3部門第1位を獲得した『メール道』と『ブログ道』(ともにNTT出版)がある。
連載は、「経営者会報」「日経パソコン」「日経ネットマーケティング」「日経トップリーダー」ほか多数。

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