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→A.チャンスを見抜く知恵、事業を起こす実力
本当の学びは、自らリスクをとって「成功の喜び」も「失敗の痛み」を体感することで得られます。学生時代の試験勉強のように、誰かにやらされた受身の勉強、答えが決まっていて、すぐに点数が判るような机上の勉強は「真の学び」ではありません。もう一度、成功してあの喜びを味わいたい、もう二度とあの失敗の痛みは味わいたくないと心から思うからこそ、自ずと勉強したくなるのです。
そして、挑戦を繰り返すうちに、答えは「教科書」ではなく「現場」にあること、「リスク」と思っていたことが、実は「チャンス」だということを、「頭」ではなく「体」で理解することでしょう。
●リスクをチャンスに変える知恵は挑戦が教えてくれる
私の社会人デビューは、ファミコンソフトの飛び込み営業でした。自社ソフトの発売日に、ある量販店に行ったら行列ができています。苦労して売り込んだソフトですから感無量です。それだけ確認して帰ることもできたのですが、どうも様子が変です。行列した子供が全員買うのではなく、グループの一人だけが買って、どこかへ去ってしまうのです。不思議に思って子供たちにどこへ行くのか質問すると「コピーしに行く」と一言。つまり、当時ディスクで提供されていたソフトを、子供たちは安価に違法コピーできることを知っていたわけです。私はショックを受けて、会社に帰ってすぐ報告。その後、自分で調べて「ディスクコピーの現状」をレポートを作成しました。社長に「ディスクで作ったソフトに未来はない」と進言して、受理されたのです。
もしも私が量販店に電話して、売れた本数だけ確認していたら、もっと被害は広がっていたかもしれません。子供たちの異変に気づかなければ(リスク感知力)、次回作もディスクで作っていたかもしれないのです。そして、ただ落ち込むのではなく(リスク耐性)、自分で現状を調査して、思い切って社長に進言しました(リスク突破力)。
この貴重な体験から、お客様との対話を自ら行なわず、データだけを見て判断する「リスク」を「体」で理解しました。現場に行って、自分の目で見て、自分の頭で考え、自分で動くことでしか、真のリスクを知ることも乗り越えることもできないのです。
それから、リスクとチャンスが裏表の関係にあること、リスクをチャンスに変える知恵があることも、実際に挑戦をしなければ体得できません。
●10人中9人が否定したファミコンソフトが大ヒット
日本初の「株式投資シミュレーション」のファミコンソフトを企画販売した時の学びも、私にとって大きな財産です。日本で初めてということは「売れるかどうかもわからない」ということです。問屋も小売店もリスクをおかして積極的に買えないということを意味します。さらに、価格を通常のゲームの2倍に設定するという冒険をしました。10人に話したら、9人が「売れっこない」という状況でスタートしたのです。
しかし、私は飛び込み営業の現場体験から、流通業=プロの評価よりも、お客様=アマチュアの評判や、マスコミ発のクチコミが大切だということを理解していました。日本で初めてだからこそ、うまくPRすれば、評判とクチコミを生み出すことができます。当時はバブル景気の始まりで株式投資ブームが起こりつつありました。しかも、ゲームの監修は、すでにベストセラー作家だった株式評論家の松本享先生です。
幸運にも、人財不足のベンチャー企業だったので、私は、このゲームの企画、営業、宣伝広報のすべてに関わることができました。新聞から深夜番組まで取材対応や出演をこなし、大手書店や玩具店の店頭でデモまでしました。マスコミやデモの評価は賛否両論で、半分は「子供に株を教えるなどけしからん」という論調でした。おそらく大企業だったら、批判的な評価を気にしてPRを控えるか、怒るかすることでしょう。でも、私たちは、某新聞社の社長から「良い評判も悪い評判も評判のうち=営業に役立つ」と教わっていたので、批判されることもリスクではなくチャンスだと感じていました。そして….結果は、売り切れ続出のヒット作になったのです。
つまり、日本初の斬新な商品を作ることに挑戦し(リスクと裏返しのチャンス感知力)、人から売れないと笑われたり、マスコミの半分から批判されることに耐え(チャンスを信じるリスク耐性)、時代のトレンドを読んで、良いパートナーの力を借りる(チャンスを活かすリスク突破力)知恵を、このプロジェクトで学んだのです。
A.チャンスを見抜く知恵、事業を起こす実力
【バックナンバー】
Q04.「リスク」と「リターン」を見極めるコツは?
2013年05月10日(金)更新
【新著連載】Q09.失敗するのが怖い
15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。
Q.失敗するのが怖い
→A.若いうちの失敗は「準備運動」と心得る
今、振り返ると、若い頃に恐れていた「リスク」の数々は、「リスク」のうちにも入らぬ「小さなリスク」にすぎなかったと気づきます。「リスク」を乗り切る力を持っているのに、それに気づかずビビっていた自分に、思わず微笑んでしまいます。
だからこそ、若いうちに数々のリスクに挑戦していて良かったとつくづく思います。その結果として得られた貴重な経験や人との出会いの数々に深く感謝したくなります。
●会社を倒産させる日に集金に行くという修羅場
私は、バブル崩壊後に、家業の久米繊維に戻り、まずは集金係をしながら、与信管理と債権回収の担当となりました。企業倒産が急増すると予想された時期です。そこで、数百社の企業経営者やキーパーソンとお会いしながら、「どの企業にどれだけ商品を掛売りしてもいいか」決める重要な仕事を任されたのです。危険を感じたら、商品の販売を中止して売掛金を回収するという「嫌われ者」の仕事でもあります。
しかし、恥ずかしながら、いくつもの失敗をしました。例えば、集金を重ねるうちに親しくなり深く尊敬していた先輩経営者が、まさに会社を倒産させる日に集金に行くという修羅場に出くわしました。今考えれば、そんな日に会えて話が聴けたのも奇縁ですが、「リストラされ、うちに来ないかと声をかけた後輩にしてやられた」とのことでした。事の真偽はともかくとして、心やさしき文化人経営者が、ビジネス上は必ずしも信用できるわけではないということを知りショックを受けました。
その失敗を知った父は、「会ってみて誰からも信頼されそうな人は、経営が甘くなりがちで、信用すると痛い目を見る。むしろ外見では信頼されない人のほうが、厳しく経営をしているので信用できる場合がある」と私に教えてくれました。
それ以降、経営者と会う前に、帝国データバンクのデータベースの決算情報や評価を必ず見てから、客観的に企業経営の良し悪しを判断するようになったのです。
調べれば、私が敬愛する優れた経営者や指導者ほど、「若さゆえの失敗談」にはことかきません。だからこそ、自らの経験をふまえて「若いうちに積極的に挑戦をして欲しい。前向きな失敗をして欲しい」と願っているのです。若いうちの失敗は、本人には大きな経験でも、組織にとっては痛手にならない損失で収まるからです。むしろ前途ある若者に対する、生きた「研修費」だと考えることでしょう。そして、心ある若者なら、自分の失敗を許してくれた経営者や組織に、感謝と愛着もわくはずです。
●失敗しても粘り強く実行すれば達人が応援してくれる
若いうちに「リスク」に挑戦するメリットは、まだあります。知識や経験が足りなくとも、夢と情熱を抱く若者は、人生の達人たちに歓迎されて教えを請えるのです。
私自身、大学などの起業論講師として、夢を熱く語り、素直に教えを請いにくる若者と出逢うことが最大の喜びなのです。たとえ、失敗しようとも、素直に教えに耳を傾けて、粘り強く実行し、報告・連絡・相談を欠かさない若者が大好きなのです。
しかし、残念なことに、そんな若者に出逢うことは、ほとんどありません。若き起業家は、いまや日本における希少資源なのです。だからこそ、自分の能力や経験をはかりにかけて、できない理由ばかり列挙するのはやめましょう。例えば、目の前に、新規事業や海外異動など、みんなが二の足を踏むような「リスクに満ちた挑戦」があれば、大きなリターンを得る「絶好のチャンス」です。みんなが顔色をうかがっている時こそ、「見る前に跳ぶ」勇気を持って、ひとりきりであっても手をあげましょう。今は大きなリスクに見えても、将来、もっと大きな起業に挑戦する時には、軽い準備運動だったと思うはずです。しかし、若いうちに準備運動をしておくことが大切です。リスクに立ち向かう基礎体力を磨くことで、未来を楽しく楽に迎えられるからです。
A.若いうちの失敗は「準備運動」と心得る
【バックナンバー】
Q08.若くて経験もなくて不安です
Q.失敗するのが怖い
→A.若いうちの失敗は「準備運動」と心得る
今、振り返ると、若い頃に恐れていた「リスク」の数々は、「リスク」のうちにも入らぬ「小さなリスク」にすぎなかったと気づきます。「リスク」を乗り切る力を持っているのに、それに気づかずビビっていた自分に、思わず微笑んでしまいます。
だからこそ、若いうちに数々のリスクに挑戦していて良かったとつくづく思います。その結果として得られた貴重な経験や人との出会いの数々に深く感謝したくなります。
●会社を倒産させる日に集金に行くという修羅場
私は、バブル崩壊後に、家業の久米繊維に戻り、まずは集金係をしながら、与信管理と債権回収の担当となりました。企業倒産が急増すると予想された時期です。そこで、数百社の企業経営者やキーパーソンとお会いしながら、「どの企業にどれだけ商品を掛売りしてもいいか」決める重要な仕事を任されたのです。危険を感じたら、商品の販売を中止して売掛金を回収するという「嫌われ者」の仕事でもあります。
しかし、恥ずかしながら、いくつもの失敗をしました。例えば、集金を重ねるうちに親しくなり深く尊敬していた先輩経営者が、まさに会社を倒産させる日に集金に行くという修羅場に出くわしました。今考えれば、そんな日に会えて話が聴けたのも奇縁ですが、「リストラされ、うちに来ないかと声をかけた後輩にしてやられた」とのことでした。事の真偽はともかくとして、心やさしき文化人経営者が、ビジネス上は必ずしも信用できるわけではないということを知りショックを受けました。
その失敗を知った父は、「会ってみて誰からも信頼されそうな人は、経営が甘くなりがちで、信用すると痛い目を見る。むしろ外見では信頼されない人のほうが、厳しく経営をしているので信用できる場合がある」と私に教えてくれました。
それ以降、経営者と会う前に、帝国データバンクのデータベースの決算情報や評価を必ず見てから、客観的に企業経営の良し悪しを判断するようになったのです。
調べれば、私が敬愛する優れた経営者や指導者ほど、「若さゆえの失敗談」にはことかきません。だからこそ、自らの経験をふまえて「若いうちに積極的に挑戦をして欲しい。前向きな失敗をして欲しい」と願っているのです。若いうちの失敗は、本人には大きな経験でも、組織にとっては痛手にならない損失で収まるからです。むしろ前途ある若者に対する、生きた「研修費」だと考えることでしょう。そして、心ある若者なら、自分の失敗を許してくれた経営者や組織に、感謝と愛着もわくはずです。
●失敗しても粘り強く実行すれば達人が応援してくれる
若いうちに「リスク」に挑戦するメリットは、まだあります。知識や経験が足りなくとも、夢と情熱を抱く若者は、人生の達人たちに歓迎されて教えを請えるのです。
私自身、大学などの起業論講師として、夢を熱く語り、素直に教えを請いにくる若者と出逢うことが最大の喜びなのです。たとえ、失敗しようとも、素直に教えに耳を傾けて、粘り強く実行し、報告・連絡・相談を欠かさない若者が大好きなのです。
しかし、残念なことに、そんな若者に出逢うことは、ほとんどありません。若き起業家は、いまや日本における希少資源なのです。だからこそ、自分の能力や経験をはかりにかけて、できない理由ばかり列挙するのはやめましょう。例えば、目の前に、新規事業や海外異動など、みんなが二の足を踏むような「リスクに満ちた挑戦」があれば、大きなリターンを得る「絶好のチャンス」です。みんなが顔色をうかがっている時こそ、「見る前に跳ぶ」勇気を持って、ひとりきりであっても手をあげましょう。今は大きなリスクに見えても、将来、もっと大きな起業に挑戦する時には、軽い準備運動だったと思うはずです。しかし、若いうちに準備運動をしておくことが大切です。リスクに立ち向かう基礎体力を磨くことで、未来を楽しく楽に迎えられるからです。
A.若いうちの失敗は「準備運動」と心得る
【バックナンバー】
2013年05月09日(木)更新
【新著連載】Q08.若くて経験も知識もなく不安です
15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております!
Q.若くて経験もなく不安です
→若ければ若いほど、知識も経験も乏しいほどチャンス!
多くの人は、「若いうちは知識も経験もないから失敗する。だから、もっと実力をつけてからリスクを取ろう」と、ついつい挑戦を先延ばしにしがちです。しかし、「リスク回避力」や「リスク突破力」を身につけるのに一番よく効くトレーニングは、実際に「リスクを取って『失敗』する」ことなのです。一度、身をもって痛い目に合えば、次は、直感的に「リスク」を感じ取り、本能的に「リスク」を回避し、知恵を使って「リスク」を乗り越えようとするからです。
リスクをとって挑戦するなら、若ければ若いほど、知識も経験も乏しい時ほど、良いのです。意外に思われましょうが、若い時の挑戦のほうが、たとえ失敗しても失うものが少ないからです。救いの手も差し伸べられ、むしろ得るものが大きいのです。
●サラリーマンがとるリスクはほとんどない!?
私は、入社1年目、それも会社が存亡の危機にある時に、ファミコンの株式ゲームソフトの企画・販売というリスキーな新規事業に関わりました。しかし、今考えれば、私がとるリスクは、ほとんどありませんでした。
会社の厳しい資金繰りを日々目にしているわけでもなく、株主でもないので「自分のお金」という意識もありません。お気楽なサラリーマン感覚で仕事をしていました。ゲームの開発といっても、優秀な常務をリーダーにしたアシスタントです。ただ、常務が考えた「幹」に、面白いアイディアを「枝葉」のように付け加えればよかったのです。営業や広報が難しいといっても、もともとブランド力が乏しい会社の「飛び込み営業」で社会人デビューしましたから、無関心や誹謗中傷にも慣れています。むしろ、新しい挑戦を、「会社や自分を育てるゲーム」のように楽しんでいた気がします。
しかし、株主であり連帯保証人でもある社長は、きっと気が気でなかったでしょう。おそらく夜も眠れなかったはずです。経営者の立場ですから、私のように現場を楽しむわけではなく、実作業の大半はマネージャーやスタッフに任せなければなりません。細かいことに口を挟み過ぎると、社員のモラルが下がって、魅力の無い「無責任なものづくり」につながるかもしれないからです。
その時の社長のプレッシャーや、辛さ・もどかしさは、莫大な負債を抱えた「構造不況業種のオーナー経営者」になって、はじめて実感しました。まさに「10年後は我が身」だったのですが、その時は気づきませんでした。
●「つらさがわからない」「他人のふんどし」だからこそ、思い切れる
逆に、経営者のつらさがわからないからこそ、他人のふんどしで相撲ととっている若造だからこそ、思い切ったゲームを作り、斬新な営業や広報もできたと思います。もともと給料が安い新入社員ですから、減給も降格も怖くありません。会社の台所事情にも、業界のしがらみにも無頓着な新人ですから、怖いものなしだったのです。責任あるリーダーになる前に、失敗を重ねながらリスクをとる練習ができました。リスクを楽しみながら、予想を超える実績を味わう経験ができて、本当に良かったのです。
ゲーム会社から証券会社に転職すると、あろうことか、まだ20代半ばなのに、相続診断システム開発の、実質上リーダーを任されることになりました。上司もずいぶん思い切ったことをしたものです。まさに「有り難いチャンス」をいただきました。
でも、ゲームデザイナー時代の自分は「気楽なアシスタント」に過ぎなかったことをすぐに痛感しました。リーダーになると、自分の頭で考え、自分で判断し、自分で行動しなければなりません。ところが、私は、システムの知識も相続税対策の知識も、基礎知識レベルしかなかったのです。もちろん税務相談の知識もありません。
●知識や経験のないからこそ、年上のプロの教えを受けられる
しかし、いざやってみれば「案ずるより産むが易し」でした。知識が足りなくとも、専門書を10冊も読めば、システム開発や税務監修のパートナーと話ができるぐらいにはなれるものです。知識や経験より大切なのは「これまでに無い新しい良いものを作りたい」「その情熱だけは負けない」ことを、言葉と態度で示すことでした。心意気に共感してくだされば、はるかに年上のプロの方々が、貴重な経験談やノウハウも提供してくださるのです。もし、私が同世代の専門家だったら、馬鹿にされるか、ライバル視されるかして、教えを受けることは難しかったでしょう。また、意識していたわけではありませんが、「常識の無いシロウトゆえの斬新なアイディア」も、いくつか提案できました。プロの達人ほど「非常識」な提案を面白がってくださったのです。
ですから、若くて知識が乏しいからと、ためらう必要はありません。若い時は思い切って飛び込んでも「崖」は想像より低いものです。崖が低いうちに勇気と知恵を磨きましょう。年を重ねて知識を積んでからリスクをとろうとしても、飛び込む「崖」は高くなっています。高い崖から飛べるのは、若い頃から飛び込んできた人だけです。
A.若ければ若いほど、知識も経験も乏しいほどチャンス!
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Q.若くて経験もなく不安です
→若ければ若いほど、知識も経験も乏しいほどチャンス!
多くの人は、「若いうちは知識も経験もないから失敗する。だから、もっと実力をつけてからリスクを取ろう」と、ついつい挑戦を先延ばしにしがちです。しかし、「リスク回避力」や「リスク突破力」を身につけるのに一番よく効くトレーニングは、実際に「リスクを取って『失敗』する」ことなのです。一度、身をもって痛い目に合えば、次は、直感的に「リスク」を感じ取り、本能的に「リスク」を回避し、知恵を使って「リスク」を乗り越えようとするからです。
リスクをとって挑戦するなら、若ければ若いほど、知識も経験も乏しい時ほど、良いのです。意外に思われましょうが、若い時の挑戦のほうが、たとえ失敗しても失うものが少ないからです。救いの手も差し伸べられ、むしろ得るものが大きいのです。
●サラリーマンがとるリスクはほとんどない!?
私は、入社1年目、それも会社が存亡の危機にある時に、ファミコンの株式ゲームソフトの企画・販売というリスキーな新規事業に関わりました。しかし、今考えれば、私がとるリスクは、ほとんどありませんでした。
会社の厳しい資金繰りを日々目にしているわけでもなく、株主でもないので「自分のお金」という意識もありません。お気楽なサラリーマン感覚で仕事をしていました。ゲームの開発といっても、優秀な常務をリーダーにしたアシスタントです。ただ、常務が考えた「幹」に、面白いアイディアを「枝葉」のように付け加えればよかったのです。営業や広報が難しいといっても、もともとブランド力が乏しい会社の「飛び込み営業」で社会人デビューしましたから、無関心や誹謗中傷にも慣れています。むしろ、新しい挑戦を、「会社や自分を育てるゲーム」のように楽しんでいた気がします。
しかし、株主であり連帯保証人でもある社長は、きっと気が気でなかったでしょう。おそらく夜も眠れなかったはずです。経営者の立場ですから、私のように現場を楽しむわけではなく、実作業の大半はマネージャーやスタッフに任せなければなりません。細かいことに口を挟み過ぎると、社員のモラルが下がって、魅力の無い「無責任なものづくり」につながるかもしれないからです。
その時の社長のプレッシャーや、辛さ・もどかしさは、莫大な負債を抱えた「構造不況業種のオーナー経営者」になって、はじめて実感しました。まさに「10年後は我が身」だったのですが、その時は気づきませんでした。
●「つらさがわからない」「他人のふんどし」だからこそ、思い切れる
逆に、経営者のつらさがわからないからこそ、他人のふんどしで相撲ととっている若造だからこそ、思い切ったゲームを作り、斬新な営業や広報もできたと思います。もともと給料が安い新入社員ですから、減給も降格も怖くありません。会社の台所事情にも、業界のしがらみにも無頓着な新人ですから、怖いものなしだったのです。責任あるリーダーになる前に、失敗を重ねながらリスクをとる練習ができました。リスクを楽しみながら、予想を超える実績を味わう経験ができて、本当に良かったのです。
ゲーム会社から証券会社に転職すると、あろうことか、まだ20代半ばなのに、相続診断システム開発の、実質上リーダーを任されることになりました。上司もずいぶん思い切ったことをしたものです。まさに「有り難いチャンス」をいただきました。
でも、ゲームデザイナー時代の自分は「気楽なアシスタント」に過ぎなかったことをすぐに痛感しました。リーダーになると、自分の頭で考え、自分で判断し、自分で行動しなければなりません。ところが、私は、システムの知識も相続税対策の知識も、基礎知識レベルしかなかったのです。もちろん税務相談の知識もありません。
●知識や経験のないからこそ、年上のプロの教えを受けられる
しかし、いざやってみれば「案ずるより産むが易し」でした。知識が足りなくとも、専門書を10冊も読めば、システム開発や税務監修のパートナーと話ができるぐらいにはなれるものです。知識や経験より大切なのは「これまでに無い新しい良いものを作りたい」「その情熱だけは負けない」ことを、言葉と態度で示すことでした。心意気に共感してくだされば、はるかに年上のプロの方々が、貴重な経験談やノウハウも提供してくださるのです。もし、私が同世代の専門家だったら、馬鹿にされるか、ライバル視されるかして、教えを受けることは難しかったでしょう。また、意識していたわけではありませんが、「常識の無いシロウトゆえの斬新なアイディア」も、いくつか提案できました。プロの達人ほど「非常識」な提案を面白がってくださったのです。
ですから、若くて知識が乏しいからと、ためらう必要はありません。若い時は思い切って飛び込んでも「崖」は想像より低いものです。崖が低いうちに勇気と知恵を磨きましょう。年を重ねて知識を積んでからリスクをとろうとしても、飛び込む「崖」は高くなっています。高い崖から飛べるのは、若い頃から飛び込んできた人だけです。
A.若ければ若いほど、知識も経験も乏しいほどチャンス!
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2013年05月07日(火)更新
【新著連載】Q07.なんのために「リスク」を背負うのですか?
Q.なんのためにリスクを背負うのですか?
→「三方よし」の人生を謳歌するため
リスクを背負う理由は、挑戦に満ちた人生を通じて、自分の実力を磨き、大きな達成感を味わえるという「自分のため=自己実現」ばかりでありません。世のため会社のためにも役立つ「他者実現」あればこそ、リスクを背負う勇気がわいてくるのです。
●お金にならない新事業への挑戦
私が、「世のため」に、リスクのある新事業に挑んだのは、2007年のことでした。家業「久米繊維工業」の生き残りのために、私は、誰よりも早くインターネット活用を始めました。
そこで思わぬご縁をいただき、日本有数の公的助成団体「日本財団」が「公的ネットワークCANPAN」を創設するお手伝いをするお誘いを受けたのです。これは、全国のNPO法人が、自らインターネットのデータベースやブログで情報発信をして、多くの人たちから広く支援を集めようという斬新なプロジェクトでした。その社会的意義と将来性は、私にもすぐに理解できました。
しかし、まだ会社が経営危機を脱したわけでもなく、社長兼営業係として忙しく働いている状況です。聞けば、無給のボランティアですし、この仕事自体が、本業に役立つわけでもなさそうです。今でこそ、CANPANは日本最大の「公益ネットワーク」に成長しましたが、当時は、夢こそ広がれど成功の確証はありませんでした。しかも、「収入増=自分のため」にも、「仕事増=会社のため」にも、直接はつながらない、新しくて不確実な仕事です。
みなさんなら、このリスクばかりでリターンが期待できない仕事を受けるでしょうか。
私は悩んだあげく、この新事業に挑戦する道を選びました。お誘いくださった元日本財団の寺内昇さんはじめスタッフのみなさんの熱意と、日本をよくしようと奮闘努力する「草の根の社会起業家を応援しよう」という社会的な意義に共鳴したからです。
●報酬をもらわないからこそ「あるべき姿」を追求
しかし、この起業体験は、私にとってかけがえのないものでした。未熟な経営者の私に大きな学びと出会いをもたらしてくれ、まさに「私のため」になったのです。
報酬をもらっていないからこそ、まったく新しい仕組みだからこそ、しがらみなしで「あるべき姿」を追求できました。堂々と斬新なアイディアを進言できまたのです。また、CANPANブログ大賞などの私の企画案も実現してくださり、その審査委員長を務めるという貴重な体験もできました。
そこで、私が感銘を受けたのは、日本全国に生まれ育ちつつある社会起業家たちの熱い言葉と行動力でした。「理想の小児がん病院をつくろう」「日本で初めての手話の学校をつくろう」と夢をネットで掲げて、それを実現していくNPOのリーダーたち。それは、まさにリスクを恐れず前進する起業家そのものだったのです。私たちが支援するはずの社会起業家のみなさんに、逆に、「夢を持つ大切さ」や「ネットワークで夢を実現する方法」を教えていただきました。これから社会起業家が作る「新しい日本の未来像」も思い描くことができたのです。
さらに、「CANPANセンター」での活動が、思いがけず、久米繊維の本業や社会貢献活動ともリンクし始めました。「会社のため」にもつながることになったのです。
まず、社団法人 日本メディアアート協会と恊働したチャリティTシャツアート展が、毎年、日本財団を主会場にして行なわれることになりました。CANPANとつながりが深いNPOのためにクリエイターがデザインするのです。Tシャツの販売収益がNPOに寄付される毎年恒例のイベントに育ち、全国を巡回するまでになったのです。
それから、あの悲しむべき東日本大震災を契機にして、日本財団と共同で、3.11復興支援Tシャツプロジェクトがスタートしました。被災地で積極的に活動しているNPO法人のために、Tシャツを製造してネット販売する新事業です。CANPANブログと日本財団での仕事で育まれた関係を通じて、心あるNPO法人との出会いがあったからこそ実現した事業です。もし、目の前の商売だけに忙殺されていたら、チャリティTシャツアート展や、復興支援Tシャツも、形になることはなかったでしょう。
今実感しているのは、ただ「自分のため」「会社のため」にリスクをとるよりも「世のため」になる事業に挑戦するほうが世界が広がるということです。発想が変わって本来の自分の力が目覚めるだけではなく、多くの心ある人たちの力も結集することができます。「世のため自分のため」にリスクをとって、子孫に誇れる仕事を遺しましょう。
A.「三方よし」の人生を謳歌するため
【バックナンバー】
→「三方よし」の人生を謳歌するため
リスクを背負う理由は、挑戦に満ちた人生を通じて、自分の実力を磨き、大きな達成感を味わえるという「自分のため=自己実現」ばかりでありません。世のため会社のためにも役立つ「他者実現」あればこそ、リスクを背負う勇気がわいてくるのです。
●お金にならない新事業への挑戦
私が、「世のため」に、リスクのある新事業に挑んだのは、2007年のことでした。家業「久米繊維工業」の生き残りのために、私は、誰よりも早くインターネット活用を始めました。
そこで思わぬご縁をいただき、日本有数の公的助成団体「日本財団」が「公的ネットワークCANPAN」を創設するお手伝いをするお誘いを受けたのです。これは、全国のNPO法人が、自らインターネットのデータベースやブログで情報発信をして、多くの人たちから広く支援を集めようという斬新なプロジェクトでした。その社会的意義と将来性は、私にもすぐに理解できました。
しかし、まだ会社が経営危機を脱したわけでもなく、社長兼営業係として忙しく働いている状況です。聞けば、無給のボランティアですし、この仕事自体が、本業に役立つわけでもなさそうです。今でこそ、CANPANは日本最大の「公益ネットワーク」に成長しましたが、当時は、夢こそ広がれど成功の確証はありませんでした。しかも、「収入増=自分のため」にも、「仕事増=会社のため」にも、直接はつながらない、新しくて不確実な仕事です。
みなさんなら、このリスクばかりでリターンが期待できない仕事を受けるでしょうか。
私は悩んだあげく、この新事業に挑戦する道を選びました。お誘いくださった元日本財団の寺内昇さんはじめスタッフのみなさんの熱意と、日本をよくしようと奮闘努力する「草の根の社会起業家を応援しよう」という社会的な意義に共鳴したからです。
●報酬をもらわないからこそ「あるべき姿」を追求
しかし、この起業体験は、私にとってかけがえのないものでした。未熟な経営者の私に大きな学びと出会いをもたらしてくれ、まさに「私のため」になったのです。
報酬をもらっていないからこそ、まったく新しい仕組みだからこそ、しがらみなしで「あるべき姿」を追求できました。堂々と斬新なアイディアを進言できまたのです。また、CANPANブログ大賞などの私の企画案も実現してくださり、その審査委員長を務めるという貴重な体験もできました。
そこで、私が感銘を受けたのは、日本全国に生まれ育ちつつある社会起業家たちの熱い言葉と行動力でした。「理想の小児がん病院をつくろう」「日本で初めての手話の学校をつくろう」と夢をネットで掲げて、それを実現していくNPOのリーダーたち。それは、まさにリスクを恐れず前進する起業家そのものだったのです。私たちが支援するはずの社会起業家のみなさんに、逆に、「夢を持つ大切さ」や「ネットワークで夢を実現する方法」を教えていただきました。これから社会起業家が作る「新しい日本の未来像」も思い描くことができたのです。
さらに、「CANPANセンター」での活動が、思いがけず、久米繊維の本業や社会貢献活動ともリンクし始めました。「会社のため」にもつながることになったのです。
まず、社団法人 日本メディアアート協会と恊働したチャリティTシャツアート展が、毎年、日本財団を主会場にして行なわれることになりました。CANPANとつながりが深いNPOのためにクリエイターがデザインするのです。Tシャツの販売収益がNPOに寄付される毎年恒例のイベントに育ち、全国を巡回するまでになったのです。
それから、あの悲しむべき東日本大震災を契機にして、日本財団と共同で、3.11復興支援Tシャツプロジェクトがスタートしました。被災地で積極的に活動しているNPO法人のために、Tシャツを製造してネット販売する新事業です。CANPANブログと日本財団での仕事で育まれた関係を通じて、心あるNPO法人との出会いがあったからこそ実現した事業です。もし、目の前の商売だけに忙殺されていたら、チャリティTシャツアート展や、復興支援Tシャツも、形になることはなかったでしょう。
今実感しているのは、ただ「自分のため」「会社のため」にリスクをとるよりも「世のため」になる事業に挑戦するほうが世界が広がるということです。発想が変わって本来の自分の力が目覚めるだけではなく、多くの心ある人たちの力も結集することができます。「世のため自分のため」にリスクをとって、子孫に誇れる仕事を遺しましょう。
A.「三方よし」の人生を謳歌するため
【バックナンバー】
2013年04月26日(金)更新
【新著連載】Q06.「リスク」をとると人間関係はどう変わる?
Q.「リスク」をとると人間関係はどう変わる?
→A.社内外のキーパーソンと出会い、お客様の本音を聞ける
リスクをとると、人づきあいの広さと深さが大きく変わります。これまで会ったことのないスケールの大きな人・元気な人や、厳しくも温かい言葉で本音を語るお客様・取引先と接することになります。それだけでもリスクをとる価値があるのです。
バブル景気で浮かれる80年代に、私は日興證券で「ファイナンシャルプランナー」養成と、システム開発の新プロジェクトに参加しました。ただ株を販売するのではなく、貯金や税金の相談ができる「お金のホームドクター」を育てようとしたのです。
しかし、これはリスクの大きな取組みでした。社員の多くは、株の知識はあっても、他社の金融商品や税制の知識はありません。面倒な資産運用プランなど作らなくとも、株が上がればお客様も喜び、販売にもつながる時代でした。その上、まだ私は20代半ばの若造で、ゲーム会社からの中途採用。金融の知識も、営業経験もないのです。
ところが、このプロジェクトに参加したことで、私の人間関係は大きく広がります。
●社会の将来を考えるキーパーソン、自分の保身しか考えない中間管理職
まずは、社内の人間関係が広がりました。
小さくとも戦略的なプロジェクトでしたので、社長室、営業企画、システム企画、人事など、社内の企画部門の部長はじめ精鋭スタッフと、定例の会議で顔を合わせ、個別にも相談や調整に回ったからです。巨大な会社を実質的に動かしているキーパーソンの考え方、働き方を目の当たりにし、人間的な魅力に触れることができたのです。特に、私たち社外中途採用組を起用した社長室の稲葉喜一さんからは多くを学びました。
「今は株式営業で良くとも、将来は必ず米国のようにファイナンシャルプランナーが中心になること。だから今から進める必要があること。そのため、内のしがらみや過去の常識にしばられない外部人材が重要なこと」を教わったのです。同時に、自己保身しか考えないような「典型的なサラリーマン中間管理職」も目にしました。稲葉さんから、「大企業では役員目前の部長が、減点を恐れて一番リスクを取らない」ことも教わり、実感できたのです。
●お客様の本音から新しい相談スタイルを提案
それから、社外の達人たちとの人間関係も一気に広がりました。
なにしろお手本となるファイナンシャルプランナーが、社内にまだ誰もいません。マニュアルから研修プランまで、私たちがゼロから作らなけれならないのです。そこで、私は、社外で開催された養成講座に通うことになりました。まだ新しい資格だったので、講座には、感度の高い会計士、税理士などの先生方はもちろん、各金融機関から新規事業担当の精鋭が参加していました。講師陣も、新時代を切り開く著名人ばかりです。こうした金融達人たちとの交流は、私が経営者になった今も続き、大きな力になっています。
そして、実際に運用相談をして、お客様との交流も広がりました。お客様が喜ばなくては、優れたシステムでもタダの箱に過ぎません。
まずは、家族・親族・親しい知人など本音で語ってくれる人に、「証券会社をどう思うか?」「資産運用ではどんなことで困っているか?」と聴き歩きました。残念ながら「証券会社は信用できないので、困っていても相談しない」と判ったので「証券会社が普通は教えないことを話します」というお客様志向のスタンスで接することにしました。その結果、支店の講演会や相談でも、お客様は心を開いてくださり、良いシステム作りにつながったのです。
さらに、新プロジェクトでは、現場で協業するパートナーとの関係を広め深めなくてはなりません。私たちの新システムを、支店のセールスレディが活用してくれるかどうかが、成功のカギでした。私より、はるかに証券知識も営業経験もある優秀な全国のレディは、「本社がまた無駄遣いをして新しい使えないものを作った」と思っていたはずです。営業予算が大きく、忙しい中で、まさにリスクをおかして新しい相談スタイルを試していただくためには、信念をもって繰り返し「お客様のためにも、セールスのためにもなる」ことを伝え続ける必要がありました。その中で、優秀で忙しい人ほど、新しいシステムに挑戦してくれたことは、今も忘れられない感動体験です。
もしリスキーな新事業に参画しなければ、私の人間関係は貧しかったはずなのです。
A.社内外のキーパーソンと出会い、お客様の本音を聞ける
【バックナンバー】
Q04.「リスク」と「リターン」を見極めるコツは?
Q05.「リスク」をとって得られる最大の学びは?
→A.社内外のキーパーソンと出会い、お客様の本音を聞ける
リスクをとると、人づきあいの広さと深さが大きく変わります。これまで会ったことのないスケールの大きな人・元気な人や、厳しくも温かい言葉で本音を語るお客様・取引先と接することになります。それだけでもリスクをとる価値があるのです。
バブル景気で浮かれる80年代に、私は日興證券で「ファイナンシャルプランナー」養成と、システム開発の新プロジェクトに参加しました。ただ株を販売するのではなく、貯金や税金の相談ができる「お金のホームドクター」を育てようとしたのです。
しかし、これはリスクの大きな取組みでした。社員の多くは、株の知識はあっても、他社の金融商品や税制の知識はありません。面倒な資産運用プランなど作らなくとも、株が上がればお客様も喜び、販売にもつながる時代でした。その上、まだ私は20代半ばの若造で、ゲーム会社からの中途採用。金融の知識も、営業経験もないのです。
ところが、このプロジェクトに参加したことで、私の人間関係は大きく広がります。
●社会の将来を考えるキーパーソン、自分の保身しか考えない中間管理職
まずは、社内の人間関係が広がりました。
小さくとも戦略的なプロジェクトでしたので、社長室、営業企画、システム企画、人事など、社内の企画部門の部長はじめ精鋭スタッフと、定例の会議で顔を合わせ、個別にも相談や調整に回ったからです。巨大な会社を実質的に動かしているキーパーソンの考え方、働き方を目の当たりにし、人間的な魅力に触れることができたのです。特に、私たち社外中途採用組を起用した社長室の稲葉喜一さんからは多くを学びました。
「今は株式営業で良くとも、将来は必ず米国のようにファイナンシャルプランナーが中心になること。だから今から進める必要があること。そのため、内のしがらみや過去の常識にしばられない外部人材が重要なこと」を教わったのです。同時に、自己保身しか考えないような「典型的なサラリーマン中間管理職」も目にしました。稲葉さんから、「大企業では役員目前の部長が、減点を恐れて一番リスクを取らない」ことも教わり、実感できたのです。
●お客様の本音から新しい相談スタイルを提案
それから、社外の達人たちとの人間関係も一気に広がりました。
なにしろお手本となるファイナンシャルプランナーが、社内にまだ誰もいません。マニュアルから研修プランまで、私たちがゼロから作らなけれならないのです。そこで、私は、社外で開催された養成講座に通うことになりました。まだ新しい資格だったので、講座には、感度の高い会計士、税理士などの先生方はもちろん、各金融機関から新規事業担当の精鋭が参加していました。講師陣も、新時代を切り開く著名人ばかりです。こうした金融達人たちとの交流は、私が経営者になった今も続き、大きな力になっています。
そして、実際に運用相談をして、お客様との交流も広がりました。お客様が喜ばなくては、優れたシステムでもタダの箱に過ぎません。
まずは、家族・親族・親しい知人など本音で語ってくれる人に、「証券会社をどう思うか?」「資産運用ではどんなことで困っているか?」と聴き歩きました。残念ながら「証券会社は信用できないので、困っていても相談しない」と判ったので「証券会社が普通は教えないことを話します」というお客様志向のスタンスで接することにしました。その結果、支店の講演会や相談でも、お客様は心を開いてくださり、良いシステム作りにつながったのです。
さらに、新プロジェクトでは、現場で協業するパートナーとの関係を広め深めなくてはなりません。私たちの新システムを、支店のセールスレディが活用してくれるかどうかが、成功のカギでした。私より、はるかに証券知識も営業経験もある優秀な全国のレディは、「本社がまた無駄遣いをして新しい使えないものを作った」と思っていたはずです。営業予算が大きく、忙しい中で、まさにリスクをおかして新しい相談スタイルを試していただくためには、信念をもって繰り返し「お客様のためにも、セールスのためにもなる」ことを伝え続ける必要がありました。その中で、優秀で忙しい人ほど、新しいシステムに挑戦してくれたことは、今も忘れられない感動体験です。
もしリスキーな新事業に参画しなければ、私の人間関係は貧しかったはずなのです。
A.社内外のキーパーソンと出会い、お客様の本音を聞ける
【バックナンバー】
Q04.「リスク」と「リターン」を見極めるコツは?
Q05.「リスク」をとって得られる最大の学びは?
2013年04月24日(水)更新
【新著連載】Q05.「リスク」をとって得られる最大の学びは?
15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております!
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Q.「リスク」をとって得られる最大の学びは?→A.チャンスを見抜く知恵、事業を起こす実力
本当の学びは、自らリスクをとって「成功の喜び」も「失敗の痛み」を体感することで得られます。学生時代の試験勉強のように、誰かにやらされた受身の勉強、答えが決まっていて、すぐに点数が判るような机上の勉強は「真の学び」ではありません。もう一度、成功してあの喜びを味わいたい、もう二度とあの失敗の痛みは味わいたくないと心から思うからこそ、自ずと勉強したくなるのです。
そして、挑戦を繰り返すうちに、答えは「教科書」ではなく「現場」にあること、「リスク」と思っていたことが、実は「チャンス」だということを、「頭」ではなく「体」で理解することでしょう。
●リスクをチャンスに変える知恵は挑戦が教えてくれる
私の社会人デビューは、ファミコンソフトの飛び込み営業でした。自社ソフトの発売日に、ある量販店に行ったら行列ができています。苦労して売り込んだソフトですから感無量です。それだけ確認して帰ることもできたのですが、どうも様子が変です。行列した子供が全員買うのではなく、グループの一人だけが買って、どこかへ去ってしまうのです。不思議に思って子供たちにどこへ行くのか質問すると「コピーしに行く」と一言。つまり、当時ディスクで提供されていたソフトを、子供たちは安価に違法コピーできることを知っていたわけです。私はショックを受けて、会社に帰ってすぐ報告。その後、自分で調べて「ディスクコピーの現状」をレポートを作成しました。社長に「ディスクで作ったソフトに未来はない」と進言して、受理されたのです。
もしも私が量販店に電話して、売れた本数だけ確認していたら、もっと被害は広がっていたかもしれません。子供たちの異変に気づかなければ(リスク感知力)、次回作もディスクで作っていたかもしれないのです。そして、ただ落ち込むのではなく(リスク耐性)、自分で現状を調査して、思い切って社長に進言しました(リスク突破力)。
この貴重な体験から、お客様との対話を自ら行なわず、データだけを見て判断する「リスク」を「体」で理解しました。現場に行って、自分の目で見て、自分の頭で考え、自分で動くことでしか、真のリスクを知ることも乗り越えることもできないのです。
それから、リスクとチャンスが裏表の関係にあること、リスクをチャンスに変える知恵があることも、実際に挑戦をしなければ体得できません。
●10人中9人が否定したファミコンソフトが大ヒット
日本初の「株式投資シミュレーション」のファミコンソフトを企画販売した時の学びも、私にとって大きな財産です。日本で初めてということは「売れるかどうかもわからない」ということです。問屋も小売店もリスクをおかして積極的に買えないということを意味します。さらに、価格を通常のゲームの2倍に設定するという冒険をしました。10人に話したら、9人が「売れっこない」という状況でスタートしたのです。
しかし、私は飛び込み営業の現場体験から、流通業=プロの評価よりも、お客様=アマチュアの評判や、マスコミ発のクチコミが大切だということを理解していました。日本で初めてだからこそ、うまくPRすれば、評判とクチコミを生み出すことができます。当時はバブル景気の始まりで株式投資ブームが起こりつつありました。しかも、ゲームの監修は、すでにベストセラー作家だった株式評論家の松本享先生です。
幸運にも、人財不足のベンチャー企業だったので、私は、このゲームの企画、営業、宣伝広報のすべてに関わることができました。新聞から深夜番組まで取材対応や出演をこなし、大手書店や玩具店の店頭でデモまでしました。マスコミやデモの評価は賛否両論で、半分は「子供に株を教えるなどけしからん」という論調でした。おそらく大企業だったら、批判的な評価を気にしてPRを控えるか、怒るかすることでしょう。でも、私たちは、某新聞社の社長から「良い評判も悪い評判も評判のうち=営業に役立つ」と教わっていたので、批判されることもリスクではなくチャンスだと感じていました。そして….結果は、売り切れ続出のヒット作になったのです。
つまり、日本初の斬新な商品を作ることに挑戦し(リスクと裏返しのチャンス感知力)、人から売れないと笑われたり、マスコミの半分から批判されることに耐え(チャンスを信じるリスク耐性)、時代のトレンドを読んで、良いパートナーの力を借りる(チャンスを活かすリスク突破力)知恵を、このプロジェクトで学んだのです。
A.チャンスを見抜く知恵、事業を起こす実力
【バックナンバー】
Q04.「リスク」と「リターン」を見極めるコツは?
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