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2013年06月27日(木)更新

【新著連載】Q29.見栄っ張りでプライドが高すぎる

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q29.見栄っ張りでプライドが高すぎる

A.「粋」と「野暮」をわきまえ「粋な人」を目指せ

 起業家にとって「誇り」や「プライド」は大切です。世のため人のために、リスクをとって、時には「割りの合わない事業」にとり組まねばならないのですから、「誇り」や「プライド」なくしては、心が折れそうになるからです。

●成金経営者の「野暮」、老舗のオーナー経営者の「粋」

 事業が成功を収めて、ある程度のお金や名誉が手に入るようになった途端、「見栄っ張りでプライドが高すぎる成金経営者」に豹変しやすいのも事実です。
 墨田区向島料亭街と共に歩んだ喫茶店「カド」の二代目ご主人曰く、成功して向島で芸者遊びをする人には「進化法則」があるそうです。まずは酒(高級料亭)と女(向島芸者)、続いて競馬の馬主、最後はバカラなどの賭博。要は、より多くのお金を使って、より高いスリルと、ステイタスシンボルを得たいということなのでしょうか。
 ところが、私が尊敬する先輩経営者、とくに老舗のオーナー経営者の方々は、見栄はそこそこに、誇りとのれんを、自分自身の美学と幸福感を大切にされているのです。
 例えば、愛用しているものを見れば、その経営者の考え方や生き方がわかります。もともと、江戸文化には「粋」と「野暮」という考えがあります。見るからに高級で派手なものを身にまとうと「野暮」、地味だが仕立てが良くて裏地に凝っていたりすると「粋」だと思われるわけです。つまり「見栄っ張り」は、侘び寂びもわからぬ「成金趣味の野暮な人」だと笑う文化が、日本には既に昔からあったわけです。

●思い入れをもってストーリーを語れるか?

 誰が見てもわかる高級時計や、高級外車に乗りたい気持ちもわからないでもありません。しかし「なぜその時計ですか?」と聞いても、何の思い入れがないと、本当にがっかりします。まるでブランドネームと高価格だけに惹かれたように見えるのです。
 その一方で、ちょっと気になる美しい小物を持っていて、聴くとうれしそうに物語を教えてくれる先輩経営者もいます。例えば、勉強会「ニューマネジメントフォーラム」で毎月顔を合わせる仲間、C+F研究所 ティム・マクリーンさん、アドバネクス・加藤雄一さん、イワキ・岩城修さんとの熱い「モノ談義」は楽しみでなりません。
 ティムさんは、米国でスティーヴ・ジョブスと同じ師匠からの禅を学んでいたこともあって、アップルの理念と製品を社員以上に愛しています。同様に、加藤さんも、岩城さんも私もジョブスを敬愛するアップル派なので、いつもモノ自慢が始まるのです。とはいえ、iPhoneやMacBookは、今や学生でさえ持っています。
そこで、自慢は、iPhoneのケースやMacBook用の鞄、さらには関連する文房具やアプリになるのです。どれだけ、誰も持っていない×美しい×面白いものを探し出し、そのストーリーを熱く楽しく語れるかという勝負=遊びです。誰もが知っているブランド品、しかも高額品だったら「野暮」だと思われてしまいます。
 知る人ぞ知る逸品、国内の量販店で売っていないような美しくも珍しい名品を、リーズナブルな価格で見つけなくては、仲間に「粋」だと思ってもらえません。これが楽しいのです。

●「粋」な遊びに熱中する仲間をつくる

 よく考えると、この「隠れ名品探し×ものがたり」という「粋」で「無邪気」な遊びに熱中する心は、起業家精神そのものかもしれません。自らの情報網と感性と行動力で、人がまだ発見していない美しくも役に立つ商品を探すからです。そして、有名になって価格が上がる前に入手して、誰よりも愛情をこめて熱く語り、広めるのです。 

 ただし、このゲームを楽しむためには、仲間が大切なのです。
 経営者のまわりには、とり入ろうとチヤホヤする輩がいますが、彼らは仲間ではありません。とり巻きです。また、成金仲間の間では、このお金を使わない代わりに、知性と感性と品性を問われる地味なゲームの面白さも「探し出して伝える喜びや誇り」も理解できないでしょう。
 真の仲間とは、お互いに師匠になったり、弟子になったりできる特別な関係です。「見栄を張る」必要はありません。自分の強みや弱みも、仕事×家族×個人の悩みも、さらけ出すことができます。
将来に実現したい夢も、心から理解し合えて応援できます。だからこそ、有頂天になっていれば厳しく叱咤し、絶望していれば温かく励ますこともできるのです。
 お金や地位目当てのとり巻きの評判を気にするよりも、心からの友=真の仲間にほめてもらえる生き方をすることこそ「誇り高き人生」なのです。

A.「粋」と「野暮」をわきまえ「粋な人」を目指せ
 

2013年06月25日(火)更新

【新著連載】Q28.シナリオを描くには?

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q.シナリオを描くには?

→A.最高と最低を意識してシナリオを描き、前進と撤退を見極めながら進め!

 リスクをとって大胆な一歩を踏み出すためには、心がけておくべきこと、事前に準備しておくことがあります。
 まずは事業の見通し=シナリオが大切です。多くの場合、上司などから批判されないように、鉛筆なめなめ「可もなく不可もない」計画を立てがちです。強気に書けば目標に届かない時に起こられそうですし、弱気のシナリオは考えたくないからです。しかし、新しいことに挑戦するに必要なのは、最も楽観的なシナリオと、最も悲観的なシナリオを同時に考えておく「リスク予見」の感性です。最悪の結果になっても致命傷にならないように考えておくのです。どんなに読みが下振れしても慌てることがないように備えておくのです。

●バブル期の存亡を賭けて

 例えば、この20年で企業が見舞われた中で「最もインパクトが大きい想定外のリスク」は「メガバンクをふくむ銀行の倒産と合併>貸し渋りと貸しはがし」でしょう。

 証券会社で、想定外のバブル崩壊に見舞われたことで、私の金融機関に対する危機感や不信感は、普通のビジネスパーソンの何倍も磨かれました。吹けば飛ぶような中小企業が銀行の心配をするのは本末転倒に見えますが、実は死活問題だったのです。

 家業の久米繊維工業も、バブル期に過大な不動産投資に走って、11行もの銀行取引がありました。その中には、バランスシートや取引先を見ると経営が危なくなると予想される銀行があり、いち早く取引をやめる必要がありました。預金が失われ、融資が止まってしまうからです。

 そこで、都市銀行を有力三銀行に絞ったのですが、今度は、その三行が合併するという話まで噂されました。一行とだけと取引をすれば、その銀行の言いなりになるしかありません。だから、政府系の金融機関や、地元の信用金庫とバランスをとりながら、常に何が起きても良い体制に変えて行きました。銀行につぶされた企業もたくさん見てきましたが、何とか先回りをして生き延びられました。

●「前進する勇気」と「撤退する勇気」を兼ね備える

 喜ばしい楽観的な展開にも、実は大きなリスクが潜んでいます。
 例えば予想を上回る受注などがあった場合には、お客様にご迷惑をおかけして機会損失をするばかりか、ライバルの参入を招くリスクまであるからです。また、発注・生産・在庫に先にお金がかかって、回収が遅れるため「黒字倒産」になるかもしれません。ですから、最も楽観的なシナリオと悲観的なシナリオと対応策を、常に考えておくことが大切です。

 その上で、「前進する勇気」と同じぐらい重要なのが「撤退する勇気」です。山登りでもヨットでも、実力のある達人ほど、天候などを見て「撤退する勇気」を兼ね備えています。同じように、起業の達人たちの頭には「いつまでに○○ができなかったら撤退」「損失が□□円になったら撤退」「環境が△△になったら撤退」と自分で決めたルールがあるのです。だからこそ、そこまでは勇気を持って前進できるわけです。
 
 また、たとえ自分がリーダーであっても、関係者や師匠に報告・連絡・相談すること=ホウレンソウが大切です。起業家にとって、ホウレンソウは、気が重いものです。多くの場合、マイナスからのスタートなので、胸をはって報告できるのは何年か先だからです。しかし、成果が出ていない、悩み多き時こそ、ホウレンソウが大切です。相談時の貴重な助言や叱咤を、素直に受け止められるかどうかが成功の鍵なのです。

●ゴールに至る道筋や技法は柔軟かつ大胆に修正

 予想通りに行かない場合や、貴重なアドバイスをもらった時など、今までの方針や進め方を、ガラッと変えなければいけないことがあります。私も勤め人だった頃は、「何だよ、また方針が変わったよ」「リーダーはすぐ気が変わるからな」と愚痴をこぼしましたが、いざ自分が起業家になると、そんな悠長なことを言ってはいられません。時々刻々環境が変化する中、誰もやっていないことを、教科書もなく進めていくわけですから、予定通りにいくはずがないからです。経営理念がぶれるのは厳禁ですが、ゴールに至る道筋や技法については、常に微調整や大胆な革新が必要なのです。

 こうして起業家は、リスクをとった分だけストレスに満ちた毎日を送ります。だからこそ休日の過ごし方にも気を配りましょう。頭を空っぽにして、趣味やスポーツに没頭しましょう。ストレス解消の時間こそ、新たなアイディアを生む源泉なのです。

A.最高と最低を意識してシナリオを描き、前進と撤退を見極めながら進め!

2013年06月20日(木)更新

【新著連載】Q27.現状に満足しないで生きたい 

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q27.現状に満足しないで生きたい

→A.「量的な拡大」よりも「質的な変化」を追いかける

 起業家の特長は、現状に満足しないことです。一つ目標を達成したとしても、それに飽き足らずに、もっと高みを目指して、次なる高度な目標が見つかるのです。
 もっと高度な目標といっても、それは、企業を大きくする、会員を増やすといった「量的な拡大」ばかりとは限りません。「量的な拡大」は、時には、行き過ぎた競争や、社会との不調和を招いて、かえって心を貧して、周囲を不幸せにすることも少なくありません。現状に満足しない真に充実した生き方は、「質的な進化」を伴うのです

●「現状に満足しない生き方の五段階」

 かつて米国の心理学者のアブラハム・マズローが、欲求段階説を唱えました。人間の欲求が、五段階(1生理的欲求 2安全の欲求 3所属と愛の欲求 4承認(尊重)の欲求 5自己実現の欲求)で進化すると唱え、「自己実現の欲求」が最も高次な欲求と定義されました。しかし、私自身のささやかな体験では、「自己実現」よりも、さらに高次な目標が芽生えて、そこに向かってに挑戦したくなります。
 そこで私が体感した「現状に満足しない生き方の五段階」をご案内いたしましょう。

 まず、第一段階は、「贅沢欲求」です。実は、私の場合は、父が事業を成功させながら「贅沢欲求」を満たすプロセスを見ることで、生きる目標が進化しました。昭和10年生まれの父は、戦後の焼け野原、路地裏の自宅兼町工場を祖父から引き継ぎました。大学にも行かず、自分でトラックを運転して工場と取引先を往復しました。だからこそ、日本初のTシャツ専業メーカーして成功すると、次々に欲しかったものを手に入れて行きました。何と言っても、表通りに面した10階建ての自社ビル兼自宅がその象徴でしょう。しかし、あらゆる贅沢をした後、バブル崩壊を経て、父が晩年に語ったのは「物を持つと苦労する。贅沢せずとも幸せになれる」という境地でした。家族とレンタカーで三陸海岸をドライブして、名も無き漁港の防波堤に腰掛け「おにぎりを食べた」のが、一番美味しかったと、死の直前にしみじみ語ったのです。

 「贅沢欲求」=物欲が満たされると、次は「認証欲求」=地位・名誉欲が大切になります。日本ではお金や物を持っているだけでは尊敬されないからです。1995年当時、私は無名の中小企業経営者でした。しかし、日経インターネットアワード、経済産業省「IT経営百選」、東京商工会議所「勇気ある経営大賞」などを受賞し、マスメディアにもとり上げられると、明らかに対応が変わりました。悪い気はしませんが、嬉しいのは最初のうちだけでした。これまでの成果=既に終わった自分を褒められるよりも、これからの挑戦=未来に向けて走る自分を見て欲しいと思うようになるのです。

●真の自己実現は自己満足では得られない

 続いて「自己実現欲求」が首をもたげます。懸命に生きていれば、簡単にほめてくれないどころか、むしろ叱咤激励される「師匠」が見つかります。その師匠の生き方を見ていると、自分の足りない点や目指すべき姿が見えてきます。私は故・林雄二郎先生のように生きたいと憧れています。
 林先生は、1969年に『情報化社会』という名著で未来を予見し、日本財団やトヨタ財団など日本の社会貢献活動の先達をつとめ、90歳を過ぎても精力的に活躍していました。自分の専門領域を拡げながら、自分の潜在的な可能性を、死ぬまでずっと追求していく生き方に、私は強く惹かれるのです。
 しかし、真の「自己実現」は「自己満足」では得られないことにも気づきます。自分が気づいたこと学んだことを、より多くの人に広く活用して欲しいと願うようになるのです。東京商工会議所のIT推進担当役員や、日本財団CANPANセンターの理事として、インターネット活用の方法を、これまで1万人以上の方々にお伝えしてきました。さらに、明治大学講師、雑誌連載やビジネス書著書として、自分以外の人たちの「自己実現」支援=「他人実現」を達成することが生きがいになってきたのです。

 さらに「未来実現欲求」も、日に日に大きくなります。自分たちの子孫のために、美しい自然環境、地域固有の文化に根ざしたコミュニティ、愛情にあふれた手仕事の伝統などを、どうすれば未来に遺せるか、大きな責任を感じています。誇大妄想だと笑われるでしょうが、これまで培って来たスキルや、達人たちとのネットワークを、「私の死後はるか先に生きる人たち」の幸せに役立てたいと真剣に考えているのです。

A.「量的な拡大」よりも「質的な変化」を追いかける

2013年06月19日(水)更新

【新著連載】Q26.自信のあるアイデアなのにうまく伝わらない

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q.自信のあるアイデアなのにうまく伝わらない

→A.「天の時、地の利、人の和」を熟成させよ

 起業家は、単にアイデアを思いつく人ではありません。ひらめきだけでは、成功できないことを良く知っているのです。アイデアを「天の時、地の利、人の和」を満たすまで熟成させ、戦略にまで昇華させる「粘り強い知情意の力」を兼ね備えています。
 達人たちは、どうやって、天の時、地の利、人の和を満たしていくのでしょうか?

●ロックな教授の出会い

 これまで私が出会って来た中で、最も先を見通した賢人は、慶應義塾大学経済学部時代のゼミの恩師、平野 絢子先生でした。平野先生のご専攻は「中国の経済改革」。日本の中国通の多くが、「毛沢東の文化大革命」を礼賛している時に、その問題点と進むべき経済の対内外解放政策を訴え続けていました。だからこそ、1978年に中国の大きな路線転換、現在の経済改革が始まった時に、人民日報の第一回の日本人留学生として招聘されたのです。そして、多くの人が中国の行方に懐疑的な中で、現在見られるような経済発展を予見されました。
 
 しかし、多くの中国と縁がある日本人のように中国べったりにはなりません。先生は、土地利用権や株式の売買と一人っ子政策の大きな弊害も指摘され、予言通り、その副作用が中国を揺るがそうとしているのです。そして、平野先生は、慶應大学を退官された後は、作新学院大学院のビジネススクールの新設に参画されて、「企業の集権と分権の最適化」を新テーマに取り組まれました。

●「天の時」=波が目の前に来るまで乗ってはいけない

 天の時を知る大切さについて、平野先生は、いつも「サーフィン」を例に話されました。「波をいちはやく見つけても、波が目の前に来るまで乗ってはいけない」と、私たちに釘を刺したのです。それは、先生のご経験に基づく考えだと、今は判ります。

 文化大革命で熱狂していた中国国内はもちろん、日本でも、平野先生の「中国の経済改革と発展戦略」のアイディアに耳を傾ける人は少なかったそうです。それどころか「無記名の郵便が届いて、カミソリが入っていた」ことさえあったそうです。きっと、平野先生が、マルクス主義経済学の教授で、父君が日本共産党創設の三大ブレインの一人でありながら、「反共産党、反文化大革命」を唱えた異端だったからでしょう。

 しかし、平野先生は嘲笑にも脅迫にも負けず、自分の意見を変えることはありませんでした。ひたすら孤独な研究を続けて、自分のアイディアを熟成させていきました。そして、50歳を過ぎた時に、中国で経済改革が始まり、まさに当事者から平野先生に白羽の矢が立ったのです。先生が、還暦のパーティの時に「自分が考えてきたことが正しかった。これからが私の青春だ」と高らかに話されたことが忘れられません。

●「地の利」=自分の分野の最先端を理解する

 それから、地の利を活かす大切さも、平野先生から学びました。ご存知のように、中国の国務院は、日本の経済発展戦略に学び、そのメリットとデメリットを、日本の官僚以上に研究しています。ですから、マルクス主義経済学だけでなく、日本経済の最先端も同時に理解する人財が必要だったのでしょう。だから平野先生だったのです。

 平野先生は、ありがちな学者=理論至上主義で「ヨコをタテにする=外国の原典をありがたく日本語にするだけ」ではありませんでした。例えば、コンピュータとネットワークの進化に着目し「完全な計画は完全な市場に一致する」と看破したのです。コンビニチェーンが使い始めたPOSシステムが経済全体に行き渡り、原材料の必要量まで推計できるようになった時に、初めて計画経済が可能になると予見しました。瞬時に巨額の資金を動かせる金融機関の「新人類ディーラー」にも着目していました。さらに、お金に頓着しない人が金融を動かす公益経済の始まりも予言されたのです。
 つまり、経済学者に珍しい徹底的な現場主義で、一見すると無関係な新事象を見つめ、独自の理論を構築して未来を予見しました。その上で、あるべき姿を提言するのです。

●「人の和」=未来を見通す達人とご縁を結ぶ

 さらに、人の和でも、平野先生をとりまくご縁の力は飛び抜けていました。多くの保守的な人たちからは冷遇されていたかもしれませんが、未来を見通す達人たちとの特別なご縁に恵まれていました。それは先生の不断の努力の賜物だったと思います。
 
 平野先生は、幼少期、恵まれた令嬢が通う聖心女子大学の付属校に通われましたが、学問の道を志して、東京女子大学に移られ、やがて、慶応義塾大学の経済学部で初の女性教授になりました。福沢諭吉先生が「男女同権」思想だったので教授になれたとおっしゃっていましたが、普通なら、そのまま安楽な道を歩むこともできたはずです。苦学をして、男性以上に恩師に認められなければ、教授にはなれなかったでしょう。
 
 先生はもともと東欧の研究家でしたが、第二次世界大戦後、中国で革命が起きた後、旧中国銀行の副頭取から「これからの中国を見守って欲しい」と請われて、研究対象を変えたのです。「エルベ川を初めて見た時に涙が出た」というほど思い入れがあったはずなのに、ご縁に導かれた大義で、新しい厳しい道を歩まれたのです。そして、耐え忍びながら中国の経済改革についての研究を深めて、晩年に中国から招聘されます。留学中も理不尽な体験をされたようですが、中国の国務院で何人かの「大人(たいじん)」に出会い、さらに研究を深められます。人の和でライフワークを築かれたのです。
 
 そして、大学退官後に、中国経済の研究者ながら、ビジネススクール新設への参画を求められたのも、先生の生き様を見ていた大学関係者とのご縁だったそうです。
 
 平野先生の教え子は、国会議員、学者、ジャーナリスト、経営者など各界で活躍しています。今も私の耳には「あなたが言いたいことを一言で言うと?」「なぜ?」という平野先生の問いかけが聞こえてきます。先生は、きっとご自身にも同じ問いかけを繰り返して、逆境の中でもアイディアを熟成させたのでしょう。「天の時、地の利、人の和」を大切にした独創的な生き方を、一人でも多くの若者に伝えていきたいのです。

A.「天の時、地の利、人の和」を熟成させよ

2013年06月18日(火)更新

【新著連載】Q25.公私混同のほうがうまくいく?

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q.公私混同のほうがうまくいく?

→A.「ランチ道」を極めることからはじめよう

 起業家の多くは公私混同の達人です。といっても、仕事の利権を個人のために使うといった「悪い意味の公私混同」ではありません。「遊ぶように働き、働くように遊ぶ」達人なのです。
 達人は「真剣に遊びつつ、無意識に仕事のヒントを探す」「辛い仕事をしている時も、肩の力を抜いて遊び心を忘れない」人生を送っています。仕事をしながらも、会社を支えてくださる「お客様と同じ気持ち」になれる、素直な「私」の心を、いつも持ち合わせているのです。そして、不思議なことに、真剣に遊んでいる時ほど、経営者としての「公」の本能も活性化され、企業の未来を切り拓く「新商品・新サービス」がひらめくものです。さらに、ひらめきを形にする苦労や、新事業を広める苦労も、起業家にとっては「ゲーム」や「レジャー」と同じ楽しみなのです。

●地の利を活かした「ランチ道」を極めれば起業家力がアップ

 公私混同の入門として仕事場界隈の自腹「ランチ道」から始めてはいかがでしょう? 自己投資で、地の利を活かした「ランチ」を極めることで、起業家力がアップします。私の経営道の師、会社力研究所代表の長谷川和廣先生も、ご自身のお子さんへの帝王学として「舌を磨いた」とおっしゃっています。
 ベストセラー『社長のノート』シリーズで知られる国際派経営者の眼から見れば、洋の東西を問わず、一流の人物は味覚にも優れており、それは経営者としての感性にも比例しているということでしょう。
 
 私にとっての「ランチ道」入門は、社会人デビューした時の、つらいファミコンソフトの飛び込み営業の最中でした。見知らぬ街で、見知らぬ玩具店を探し出しては、厳しくあしらわれる中、唯一の楽しみはランチ。当時は、ラーメン好きでしたので、ひたすら、その街の美味しい店を見つけ出しては、ラーメンばかりを食べ歩きました。インターネットも情報誌も少ない時代ですから、まち歩きをしながら探します。不思議なもので「この店構えだと美味しそう」「この主人はこだわりがありそう」「この路地に美味しい店がありそう」というカンが少しずつ磨かれてくるのです。毎日、ラーメンを食べていると味覚が研ぎすまされ、ちょっとした味の違いにも敏感になります。

●繁盛店や店主の特別なオーラや見えない努力を感じ取る

 日興證券に転職してからも、銀座に近い地の利を活かして、「ランチ道」を極めることにしました。有名なお店から、路地裏の隠れ家まで、格安メニューを探しては、おひとりさまランチを楽しみます。日本一の高級グルメタウンですが、ランチタイムなら20代のサラリーマンでも手が届きますし、スーツ姿なら門前払いにはなりません。そこで「最高の味、最高のおもてなし」から、「親しみのある味、ほっとする店構え」まで、日本の食文化の奥深さの一端を見ることができました。そして、繁盛店とご主人や女将だけが持つ、特別なオーラや、見えない努力を感じ取れるようになりました。
 
 いよいよ、久米繊維に戻ってからは、会社界隈の墨田区周辺を食べ歩きました。
 実は、墨田区は、昔ながらの名店があるだけでなく、人口規模や立地の割には地価が安いこともあって、志と腕がある区外のオーナー料理人が、続々と店開きをしていました。エスニック料理から、蕎麦屋、カフェにいたるまで面白い店だらけなのです。意外にも、地元の経営者の先輩は、ご近所よりも、浅草、日本橋、銀座などに行ってしまうことが多いようでした。そして、情報誌も、東京スカイツリーが出来る前は、墨田区のことなど取り上げていなかったので、まさに未開の真空地帯だったのです。
 驚くことに、久米繊維にご来社された、ファッション業界やカタカナ職業のおしゃれな人ほど、路地裏の隠れ家的名店にご案内すると喜んでくれました。師匠の長谷川先生が看破されたように、センスの良い人ほど、人知れぬ美味しい店を紹介すると、私のセンスを認めてくださいます。その味が一流であればあるほど、久米繊維の商品も一流に見えるのです。さらに、私が、ネット・講演・コラムなどでご紹介した店が、口コミ、ネットコミで全国的な有名店になるという素晴らしい体験も味わえました。ご紹介した名店主が、久米繊維と商品を愛してくださることも大きな喜びでした。
 ありがたいことに、現在、私が全国の銘品名店の経営者と親しく交流し、ご一緒に商品開発やイベントができるのも、まち歩き観光の専門家として活躍できるのも、20代の時から、30年近く続けてきた、公私混同「ランチ道」のおかげなのです。

A.「ランチ道」を極めることからはじめよう
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