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2013年05月21日(火)更新

【新著連載】Q14.もっと大きな仕事に挑戦したい

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q.もっと大きな仕事に挑戦したい

→A.これまで培った経験・スキル・出会いを活かして、大きな仕事に挑もう

 若い頃から、リスクをとって挑戦してきた人、達成感を味わってきた人は、人生の後半で、もっと大きな仕事に挑戦したくなるはずです。
 より大きなリターンを得るために大きなリスクをとる覚悟も知恵も備わっています。これまでの経験をもとに、社会の課題=ビジネスチャンスも見えてきて、より長期のビジョンが描けるようになってきます。同時に、時間の経過に耐えうる斬新なアイディアも浮かんできます。これまでのご縁をもとに、多くの信頼できるスペシャリストと同じ夢を見ながら、もっと大きな課題を解決するプロジェクトを起こせそうです。

●一見無関係なキャリアとネットワークが未来に役立つ

 私自身、50歳の節目を迎えて、人生の総仕上げとなる大きな事業に取り組もうとしています。日本の未来、地球の未来のために、ソーシャル・コミュニティ・ビジネスを起こせる社会起業家を輩出する「全く新しい教育の仕組み」を創造したいのです。ただ単に、起業家教育を行なうビジネススクールを創るわけではありません。中学校から大学院までのそれぞれのステージで、全国各地の地元密着企業、自治体、観光協会や商工団体などと交流し、一体となって「生きた授業=事業」を行なう仕組みです。
 今は、まだ夢のような話です。しかし、これまで私が取り組んできた仕事の数々が、共に歩んできた素晴らしい師匠や仲間とのご縁が、ひとつの方向を指し示しているように思えてなりません。私のベースには、大企業、ベンチャー、老舗中小企業での事業創造体験、経営者体験があります。加えて、中小企業やNPO支援団体の役員、観光地域づくり団体の役員、インターネットやソーシャルメディア活用の講師、大学やビジネススクールでの講師、そして自己啓発本の著者でもあります。一見、無関係な私のキャリアとネットワークが、これからの日本の未来に役立つと予感しています。
 この本を書くきっかけも、21世紀は日本の世紀と言っても良いほど大きなチャンスに恵まれているにも関わらず、リスクをとって事業を起こせる人財も、その人財を活かす仕組みも不足していることでした。明治大学でビジネス起業の講義を持ち、地元墨田区を始め全国の観光地域づくりに関わって、今の日本の問題点を痛感したのです。起業論の本を書く前に『「すぐやる!」技術』『「やり抜く!」技術』『「認められる!」技術』といったビジネスやコミュニケーションの基本から、若者たちに伝えざるを得なかったのです。

●リスクに挑んでいれば夢を抱き、実現しうる力を持てるようになれる

 さらに、インターネット、その進化系であるソーシャルメディアの活用スキルを、今ほど広めたいと願う時はありません。これから社会を変えて行く起業家たちに、ネットを活用した広報と自己プロデュース、師匠や仲間とのネットワーキングの方法論を、もっと伝えたいのです。
 1997年から講演やセミナーで1万人を超える人たちに、家業の久米繊維を救うためにワラをもつかむ気持ちで始めた私のノウハウをお伝えしてきました。しかし、数多くのネットワーカー=仲間たちと一緒に、もっと多くの人たちに体系的かつ継続的に伝えたいのです。幸い、私のライフワークの一つ、社会起業家をITで応援する日本財団CANPANセンターのネットワークも活用セミナーも進化しています。マスメディアやソーシャルメディアの達人の協力も仰いで、地域活性化に役立つカリキュラムを創り、教育機関で毎年受講できるようにしたいのです。
 同様に、日本全国で観光地域づくりに成功した実務者が集まる「観光地域づくりプラットフォーム」の仲間のノウハウも体系化して、老若男女が学べる機関が必要です。日本は成熟した先進国として、観光大国になれる潜在力を持っています。観光立国のグローバル戦略と地産地消のローカル戦略を同時に成功させなくてはなりません。
 そのためには、中学時代に、元気な地域の大人に出会って活性化し、高校生になったら、地域のイベントや事業に参加して知恵と経験を学ぶ。大学生になったら、地域の団体のインターンをしながら、就活と起業の実習を重ねる。そして、大学院では地域のキーパーソンが再度学んで、若者たちや地元企業や団体と一緒に事業を起こしていく。そんな社会起業家を輩出できる仕組みを、これから10年で実現していきます。
 こうした夢を抱き、実現しうる力を持つとは、若い時には想いもしませんでした。これもリスクを恐れず、寄り道を厭わず、常に新しい挑戦を続けたからなのです。

A.これまで培った経験・スキル・出会いを活かして、大きな仕事に挑もう

【バックナンバー】
Q08.若くて経験もなくて不安です
Q09.失敗するのが怖い
Q10.部下がいないうちは大きなことに挑戦できない?
Q11.自分の力不足をさらけ出すのが怖い
Q12.人から笑われるのが怖いんです
Q13.「とるべきリスク」とはどんなものですか?

2013年05月20日(月)更新

【新著連載】Q13.「とるべきリスク」とはどんなものですか?

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q.「とるべきリスク」とはどんなものでしょうか?

→A.「チャンス=先行者利得」が得られる「前向きなリスク」に挑戦しよう

 いつでもリスクとチャンスは隣り合わせです。ですから「とるべきリスク」とは、チャンス=先行者利得をつかむための「前向きなリスク」です。そのリスクをすばやく果敢にとることで、自分のスキルも磨かれ、ありがたいご縁も拡げられるはずです。
 時代の変化は、大きなうねりとなって押し寄せます。チャンスに満ちた時代は、変化が激しくてリスキーな時代でもあります。そのぶんだけ「前向きなリスク」の向こうに、「改革」と「事業創造」の種が隠されているのです。

●「現状維持=リスク」という健全な危機意識を

 例えば、私がインターネット社会到来の大波を予感したのは、1995年のことでした。まだ一部のマニアがパソコン通信を楽しんでいた時代ですから、ネット通販のお客様は限られています。検索エンジンも無いので、お目当ての商品を探すことさえできません。遅い電話回線しかないので、写真が画面表示されるのにも時間がかかりました。
 しかし、そんな時代から、インターネットを使っていたからこそ、日経インターネットアワードや、IT経営百選をいただいて、マスメディアの取材を多数受けることができました。思いがけず、講演、連載、出版の仕事も舞い込んで、ネットの世界のみならず、新聞、雑誌、テレビ、講演など、多くの機会で、お金をかけずにPRをさせていただき、新しいお客様と商品・サービスを開拓することができたのです。
 「前向きのリスク」をとらないと、時代に取り残される「後ろ向きのリスク」に見舞われます。もし私たちがインターネットを使わず、旧来のお客様だけと取引をしていたらと考えると怖くなります。なぜなら、多くのお客様が、グローバル経営×流通革命×インターネット革命の大波にさらわれて、廃業や倒産に追い込まれたからです。
 だからこそ、「現状維持=リスク」という健全な危機意識を常に持ち続けましょう。健全な危機意識こそが「リスク感知力」と「リスク突破力」を呼び起こすのです。
 多くの人たちは気づいていませんが、実社会は、ファンタジー映画によく見られる「吊り橋を渡る主人公の後ろで、次々に橋が崩れていくシーン」のようなものです。一見すると恐ろしい光景に見えますが、リスクのある場に身を置くと、不思議と本能が目覚めます。危険を事前に察知しながら、前へ前へと自然に走れるようになるものです。健全な危機意識を持っている人=リスク突破の本能が発動している人なのです。

●「ちょっと上の能力」を必要とすることに挑戦する

 そして、「前向きなリスク」を取る時のコツは、「適度」なリスクをとることです。自分が考えるよりも「ちょっと上の能力」を必要とする挑戦から始めましょう。なぜ「ちょっと上」かというと、私も含めて、多くの人は、自分の「潜在能力を低く見積もる」=「リスクを過大評価」する傾向があるからです。本来の潜在能力を呼び覚まして磨き上げるためにも、考えるより「ちょっと上」のリスクをとることが大切です。
 具体的に「とるべきリスク」それも「適度なリスク」を見きわめる最良の方法は、「リスクをとる達人=人生のよき先輩」たちと付き合うことです。達人たちの考え方や動き方を「真似る」「一緒に働く」ことや、恥ずかしがらずに「質問する」「相談する」ことが、「リスク感知力×リスク耐性×リスク突破力」を身につける早道なのです。

●「はやく始める」ことで成功確率が変わる

 ただし、リスクをとる達人は、自分の身の回りにいるとは限りません。ネットで調べて、積極的に異業種の達人が集まる勉強会や、NPO活動に参加してみましょう。これまでの自分と全く異なる「広くて深い情報源」を持つ達人や、波瀾万丈の現場体験で得た「知恵のかたまり」のような達人に出逢えるはずです。
 例えば、私は、インターネット前夜より、経営情報学会というITの専門家や大学教授が集まる学会に思い切って参加しました。入ってみたら、まったく場違いな場所で、知識も経験も足りない中小企業の後継者は戸惑うばかり。しかし、慶應大学・國領二郎先生、早稲田大学・平野 雅章先生、IBM・岡本明雄先生(故人)はじめ、多くの未来を見据えた達人たちと親しく接して、直接教えを受けることができました。 
 達人たちは、独自の情報網を持ち、現場に自ら足を運んだ実感と、統計の情報を同じように大切にして、自分で見て考えてすばやく行動していました。歴史上の成功や失敗の原則に学んで、「はやく始める」ことで成功確率が変わることを知っていたのです。

A.「チャンス=先行者利得」が得られる「前向きなリスク」に挑戦しよう

【バックナンバー】
Q08.若くて経験もなくて不安です
Q09.失敗するのが怖い
Q10.部下がいないうちは大きなことに挑戦できない?
Q11.自分の力不足をさらけ出すのが怖い
Q12.人から笑われるのが怖いんです

2013年05月17日(金)更新

【新著連載】Q12.人から笑われるのが怖いんです

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q.人から笑われるのが怖いんです

→A.人から笑われてこそ一人前、笑われる事業が未来を変える

 起業家が夢を実現するプロセスは、人から笑われることから始まるといっても過言ではありません。起業家は、自分の夢を誰かに語るたびに、「そんな夢みたいなこと」「そんな馬鹿げたこと」と笑われることになるからです。
「昔から誰もが挑戦してできなかった」「お金や手間がかかりすぎる」などと、できない理由を並べられて、やめるように言われるはずです。仲間になってほしい人、仲間だと思っていた人から、理解を得られないことは辛いものです。お客様のために新しい商品とサービスをと思っていても、最初は、肝心のお客様から支持されるどころか、反対に笑われることも少なくありません。理解してくださる人は、人から笑われるような人だけかもしれません。だから、ここで挫折してしまう人も多いでしょう。
 しかし、人から笑われてこそ起業家として一人前、笑われるような事業こそ未来を変えるインパクトを持つものなのです
 例えば、私が、これまで何を始めて、どれだけ笑われてきたか、今はどうなっているかを列挙してみましましょう。10年、20年と立てば、状況が変わって、笑う人もいなくなるとご理解いただけるはずです。

●大学の友人に笑われ、同僚に笑われ、お客様にも笑われた

 まずは就職です。多くの友人が一流の大企業に就職を決めていました。その中で、私はゲーム制作の創業ベンチャー「イマジニア」に新卒第一期として就職しました。内定を決めていたコンサルティング会社の役員にお詫びに行った時には、正気とは思えないと笑われました。もちろん大学の友人たちも、同じ気持ちだったでしょう。
 そして、おもちゃ屋さんへの飛び込み営業。私たちが創作した「株のファミコンゲーム」も「売れっこない」と笑われ続けました。銀座博品館で子供たちの前でデモをしては、「わけわかんない」と笑われ、八重洲ブックセンターの前でデモをしてチラシを配っては、ビジネスパーソンに無視され「株のゲーム?」と鼻で笑われました。
 しかし、おかげさまで「松本享の株式必勝学」は売れ、その後、ヒット作を続けたイマジニアは株式店頭公開をして、今も立派に事業を続けています。そして、私は、飛び込み営業や、公衆の面前でのデモをしても恥ずかしくない度胸が身に付きました。
 日興證券(当時)に転職した時も、みんなから笑われました。バブル真っ盛りなのに、証券会社は「株屋」のイメージで、どこか低く見られていたのでしょう。たしかに社内も「株屋」体質だったので、ファイナンシャルプランニングが必要という私たちの社内起業は半ば無視され、現場の担当者からは「現実をわかっていない」と笑われました。しかし、バブルが崩壊し、お客様も学習を重ねて、今や、ファイナンシャルプランナー=FPという職種も知れ渡るようになりました。私が真っ先に取ったFP資格を、金融機関の人が取るのは当たり前になったのです。

●ネットでの商売、環境に配慮したTシャツも笑われた

 そして、父の会社に戻る時も「Tシャツ屋になるのか」とみんなから笑われました。証券会社の敏腕常務から「糸へん(構造不況業種の繊維産業)に戻るって」と驚かれました。しかし、久米繊維は「失われた20年のデフレ期」を独立を守りながら生き抜き、私が務めた証券会社は外資に買収された後、都市銀行の傘下に入っています。
 父の会社に戻り、アップルのマッキントッシュに出会って「誰もがデザイナーになる」、インターネットに出会って「誰もネットでモノを売り買いするようになる」と直観して、新事業を始めた時にも、誰も相手にはしてくれませんでした。しかし、スマホやインターネット無しで、今、私たちは生きていられるでしょうか?
 再生可能エネルギー=グリーン電力証書を使い、オーガニックコットンで高価格高付加価値のTシャツを創ると言った時も、海外生産やファーストファッション当たり前の業界関係者から笑われました。しかし、福島第一原発の事故もあって、誰もが地球環境問題に関心を持つ時代になって、私たちの評価も高まっています。
 そして、人生の収穫期になった今、私が大学の同窓会などで友人に逢うと驚きます。一流企業につとめながら夢の無い人、愚痴をこぼす人が多いからです。
 あなたは「今は笑われるけれど、未来に心から笑う人生」を選びますか?
 それとも「今は笑うけれど、将来は愚痴をこぼすような人生」を選びますか?

A.人から笑われてこそ一人前、笑われる事業が未来を変える

【バックナンバー】
Q08.若くて経験もなくて不安です
Q09.失敗するのが怖い
Q10.部下がいないうちは大きなことに挑戦できない?
Q11.自分の力不足をさらけ出すのが怖い

2013年05月14日(火)更新

【新著連載】Q11.大きな夢を語って笑われるのが怖い

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。

Q.大きな夢を語って笑われるのが怖い

→A.現実とのギャップの向こうに、自分の成長と周囲の支援がある

 誰しも自分の「力不足をさらけだす」のは「怖い」ものです。そして、もっと「怖い」のは、「若くして大きな夢を語る」こと、それを「笑われる」ことでしょう。
 自ら、実力以上の高い目標を公言してしまうことは、それ自体が、大きなリスクに見えるかもしれません。しかし、充実した人生を生き抜くことができるかどうかは、若いころの「夢と現実のギャップ」の大きさにあると言っても過言ではありません。20代、30代に知識や経験がないことは当たり前。問題は、大きな夢とのギャップを、どうやって埋めて行くかという、前向きな「心のベクトル」なのです。

●夢を抱くのに遅すぎることはない

 例えば、私たち久米繊維の中で、最も壮大な夢を描いて公言しているのは、NPO法人やCSR企業担当の竹内裕さんです。竹内さんは私よりも年上ですが、50代にさしかかった時に、3.11東日本大震災を体験して人生が変わりました。被災地の厳しい現実を見て回って、人生が変わったのです。夢を抱くのに遅すぎることはないのです。
 竹内さんの夢は、「復興支援で活躍する東北のNPOを、Tシャツで応援すること」です。東北各地のNPOのためのオリジナルTシャツを作って、その販売収益を寄付し続けるプロジェクトを始めています。その事業を通じて、竹内さんは10年後に壮大な夢を描いています。「岩手~宮城~福島の海岸線を、各地の復興支援Tシャツを着た人で埋め尽くし、手をつないで一列に並ぼう」というのです。そして、ギネスブックに登録しようとまで考えているのです。これは、言い換えれば、10年がかりで、数十万枚のTシャツを販売して、数億円単位の寄付をすることを意味します。

●プロジェクトへの熱い思いとその意義を伝える

 しかし、竹内さんは、Tシャツ製造の知識こそあれ、現地のNPOとのネットワークも、独自にTシャツ販売をする仕組みも持っていませんでした。被災地の惨状を見て「なんとかしたい」という熱い想いだけがすべてでした。そこで、竹内さんは、自分よりも大きな知恵や力がある人たちと共に夢を見て、協業するしかないと思いました。
 まずは、被災地のNPOを支援する強力なネットワークを持つ日本財団に協力を仰ぐことにしました。幸いにして、日本財団とは、JMAAチャリティTシャツアート展を毎年共催していて友好関係がありました。そこで、竹内さんは、日本財団のご担当者に、復興支援Tシャツプロジェクトの意義を熱く語りました。同時に、Tシャツのスペシャリストではあっても、復興支援の知識やNPOとのネットワークがないことも正直に伝えました。その大きな夢と誠実な姿勢が共感を生んだのでしょう。日本財団から、応援するNPOのみなさんをご紹介いただくことができたのです。

●夢を語りつつ、自分に足りないものをさらけ出す

 さらに、3.11復興支援Tシャツを広めるためには、メディアの協力も欠かせません。しかし、多くのマスメディアは、いずれ3.11のことを報道しなくなるでしょう。被災地支援にずっと関心をもつ人が定期購読するような「心あるメディア」の協力を仰ぐことが必要でした。
 そこで、竹内さんは、社会貢献に熱心な企業やNPOの経営者愛読する雑誌「オルタナ」に、復興支援Tシャツの構想を話そうと思い立ちました。
 竹内さんは、もともとオルタナの編集方針に共感し、個人で購読し応援していたので、担当者に耳を傾けていただけました。まず、久米繊維や自分の力だけでは、この壮大な構想を実現できないと告白しました。その上で、オルタナ読者の企業経営者と被災地のNPOを結んで、10年がかりの末永い復興支援を進めたいと熱く語ったのです。
 さらに、ネットで多くの人に知ってもらい、Tシャツを数多く販売をするためには、インターネットで力を持つ会社との協業も必要でした。そこで、3.11以降、真剣に被災地支援をしていたヤフーにプロジェクトを提案しました。当初は、ヤフーにネットショップを開くだけの小さなスタートでした。しかし、これからは、復興支援Tシャツに限らず、様々な社会貢献Tシャツを通じて社会を変えて行こうと話は進んでいます。
 こうして、竹内さんは、大きな夢を語りつつ、自分に足りないものもさらけ出すことで、日本財団、オルタナ、ヤフーという素晴らしい企業との協業を実現したのです。実際に起業する時に重要なのは、自分自身のノウハウ(Know How)ではなく、自分より力のある人を見つけて協業する力(Know Who)なのです。

A.現実とのギャップの向こうに、自分の成長と周囲の支援がある

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Q08.若くて経験もなくて不安です
Q09.失敗するのが怖い
Q10.部下がいないうちは大きなことに挑戦できない?

2013年05月13日(月)更新

【新著連載】Q10.部下がいないうちは大きなことに挑戦できない?

Q.部下がいないうちは大きなことに挑戦できないのでしょうか? 

→社外イベントやNPO活動にチャンスがある!

 そんなことはありません。今はソーシャル時代です。インターネットを活用して、社外の心ある仲間たちとネットワークでつながることで、大きなチームを作って、新しい事業を起こすこともできるのです。たしかに、これまでの「企業内自己完結時代」には、若いうちにできる挑戦は限られていました。今でも「企業内起業」は、ハードルが高いものです。ですから、まずは仕事を離れ、NPOのイベントなどにスタッフとして参加して経験を積んでから、リーダーとして自主企画に挑戦してみましょう。

●「行列のできるイベント」を主催した社内起業家

 たとえば、私たち久米繊維が誇る若き社内起業家に、村上典弘さんという優秀な幹部社員がいます。高校を卒業して、すぐにグループのプリント工場で修行して、その後、本社で営業の要として活躍しています。
 村上さんは、まだ30代の若者です。直属の部下もいません。しかし「すみだ日本の技と酒めぐり」という「行列のできるイベント」を2012年に主催し大成功を収めました。
 このイベントでは、全国の日本酒の蔵元に墨田区に集まっていただき、自慢のお酒の数々を楽しむ大試飲会を開催したのです。同時に、墨田区が誇る和菓子などの銘品名店や、伝統工芸・町工場の経営者のみなさんにもご参加いただきました。会場は熱気に包まれて、これまでにない出逢いや賑わいを創り出したのです。

●2つのソーシャルをフル活用すれば応援が集まる

 いったいどうやって、村上さんは、若くて知識も経験も乏しいのに、部下もいなければ、使える事業予算もないのに、このイベントを成功に導いたのでしょうか?
 それは、2つのソーシャルを活用したからです。
 1つめのソーシャルは、ソーシャルメディアです。インターネットの検索エンジン、メールはもちろんのこと、Twitter、Facebook、ブログなどのソーシャルメディアを、村上さんはフル活用したのです。
 村上さんは、5年がかりで、全国の名酒づくりの蔵元との関係作りを続けてきました。美味しいお酒をネットで調べ、自腹で買い求めては、ブログやメルマガなどでお酒の紹介記事を書くことから始めました。その上で、「日本酒を世界に広めるTシャツを作りたい。墨田区を日本酒の聖地にするイベントを開きたい」と熱いメールを出し続けました。とはいえ、日本酒の蔵元と言えば、百年単位の歴史と伝統を誇る老舗のオーナー経営者で、多忙な地元の名士でもあります。100通メールを出すと、10通返信が返ってきて、3社がTシャツを作ってくださるような塩梅でした。
 それでも、村上さんは、10社集まれば、小さな社内イベントを開くということを、地道に続けて行きました。もちろん、集客や販売の告知も、お金がかけられないので、自分自身でソーシャルメディアで発信しました。少しずつですが、イベントに参加してくださった酒好きのお客様からクチコミ・ネットコミが広がりました。その結果、村上さんを応援しようという、蔵元と日本酒ファンが増えていったのです。

●会社の同僚だけでは実現できないことをやってのける

 もう1つのソーシャルは、社会起業家のソーシャルなネットワークです。村上さんは、3.11後に縁あって、復興支援チャリティの日本酒イベントの実行委員をつとめました。もちろんボランティアです。そこで、村上さんは、100名近いボランティアのスタッフをとりまとめるリーダーとして、イベントの成功に積極的に関わることができました。そのイベントでの成功体験が、村上さんの自信につながり、自主開催イベントの大きなヒントになりました。「社会的に意味がある楽しいことには、多くの心あるボランティアが集まって、大きなことが実現できる」という確信を得たのです。
 そこで、「すみだ日本の技と酒めぐり」では、有志を募って数十名の実行委員会を作りました。そこには、それぞれの分野のエキスパートもいらっしゃいました。会社の同僚数名だけでは、とても実現できないことを、村上さんはやってのけたのです。
 ですから、社内でチャンスが見いだせない場合は、ぜひNPOのスタッフとして活躍の場を探してみてください。そこで経験を積んだら、自らリーダーとなって、イベントの開催などにチャレンジしてみてください。きっと、将来、リーダーになるための大きな自信と気づきが得られ、信頼できる仲間やパートナーにも恵まれるでしょう。ソーシャルなネットワークを活用すれば、ローリスク×ハイリターン起業を体得できるはずです。

→社外イベントやNPO活動にチャンスがある!

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Q08.若くて経験もなくて不安です
Q09.失敗するのが怖い

2013年05月10日(金)更新

【新著連載】Q09.失敗するのが怖い

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Q.失敗するのが怖い

→A.若いうちの失敗は「準備運動」と心得る

 今、振り返ると、若い頃に恐れていた「リスク」の数々は、「リスク」のうちにも入らぬ「小さなリスク」にすぎなかったと気づきます。「リスク」を乗り切る力を持っているのに、それに気づかずビビっていた自分に、思わず微笑んでしまいます。
 だからこそ、若いうちに数々のリスクに挑戦していて良かったとつくづく思います。その結果として得られた貴重な経験や人との出会いの数々に深く感謝したくなります。
 
●会社を倒産させる日に集金に行くという修羅場

 私は、バブル崩壊後に、家業の久米繊維に戻り、まずは集金係をしながら、与信管理と債権回収の担当となりました。企業倒産が急増すると予想された時期です。そこで、数百社の企業経営者やキーパーソンとお会いしながら、「どの企業にどれだけ商品を掛売りしてもいいか」決める重要な仕事を任されたのです。危険を感じたら、商品の販売を中止して売掛金を回収するという「嫌われ者」の仕事でもあります。
 しかし、恥ずかしながら、いくつもの失敗をしました。例えば、集金を重ねるうちに親しくなり深く尊敬していた先輩経営者が、まさに会社を倒産させる日に集金に行くという修羅場に出くわしました。今考えれば、そんな日に会えて話が聴けたのも奇縁ですが、「リストラされ、うちに来ないかと声をかけた後輩にしてやられた」とのことでした。事の真偽はともかくとして、心やさしき文化人経営者が、ビジネス上は必ずしも信用できるわけではないということを知りショックを受けました。
 その失敗を知った父は、「会ってみて誰からも信頼されそうな人は、経営が甘くなりがちで、信用すると痛い目を見る。むしろ外見では信頼されない人のほうが、厳しく経営をしているので信用できる場合がある」と私に教えてくれました。
 それ以降、経営者と会う前に、帝国データバンクのデータベースの決算情報や評価を必ず見てから、客観的に企業経営の良し悪しを判断するようになったのです。
 調べれば、私が敬愛する優れた経営者や指導者ほど、「若さゆえの失敗談」にはことかきません。だからこそ、自らの経験をふまえて「若いうちに積極的に挑戦をして欲しい。前向きな失敗をして欲しい」と願っているのです。若いうちの失敗は、本人には大きな経験でも、組織にとっては痛手にならない損失で収まるからです。むしろ前途ある若者に対する、生きた「研修費」だと考えることでしょう。そして、心ある若者なら、自分の失敗を許してくれた経営者や組織に、感謝と愛着もわくはずです。

●失敗しても粘り強く実行すれば達人が応援してくれる

 若いうちに「リスク」に挑戦するメリットは、まだあります。知識や経験が足りなくとも、夢と情熱を抱く若者は、人生の達人たちに歓迎されて教えを請えるのです。
 私自身、大学などの起業論講師として、夢を熱く語り、素直に教えを請いにくる若者と出逢うことが最大の喜びなのです。たとえ、失敗しようとも、素直に教えに耳を傾けて、粘り強く実行し、報告・連絡・相談を欠かさない若者が大好きなのです。
 しかし、残念なことに、そんな若者に出逢うことは、ほとんどありません。若き起業家は、いまや日本における希少資源なのです。だからこそ、自分の能力や経験をはかりにかけて、できない理由ばかり列挙するのはやめましょう。例えば、目の前に、新規事業や海外異動など、みんなが二の足を踏むような「リスクに満ちた挑戦」があれば、大きなリターンを得る「絶好のチャンス」です。みんなが顔色をうかがっている時こそ、「見る前に跳ぶ」勇気を持って、ひとりきりであっても手をあげましょう。今は大きなリスクに見えても、将来、もっと大きな起業に挑戦する時には、軽い準備運動だったと思うはずです。しかし、若いうちに準備運動をしておくことが大切です。リスクに立ち向かう基礎体力を磨くことで、未来を楽しく楽に迎えられるからです。

A.若いうちの失敗は「準備運動」と心得る

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Q08.若くて経験もなくて不安です

2013年05月09日(木)更新

【新著連載】Q08.若くて経験も知識もなく不安です

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! 
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Q.若くて経験もなく不安です 

→若ければ若いほど、知識も経験も乏しいほどチャンス!

 多くの人は、「若いうちは知識も経験もないから失敗する。だから、もっと実力をつけてからリスクを取ろう」と、ついつい挑戦を先延ばしにしがちです。しかし、「リスク回避力」や「リスク突破力」を身につけるのに一番よく効くトレーニングは、実際に「リスクを取って『失敗』する」ことなのです。一度、身をもって痛い目に合えば、次は、直感的に「リスク」を感じ取り、本能的に「リスク」を回避し、知恵を使って「リスク」を乗り越えようとするからです。
 リスクをとって挑戦するなら、若ければ若いほど、知識も経験も乏しい時ほど、良いのです。意外に思われましょうが、若い時の挑戦のほうが、たとえ失敗しても失うものが少ないからです。救いの手も差し伸べられ、むしろ得るものが大きいのです。

●サラリーマンがとるリスクはほとんどない!?

 私は、入社1年目、それも会社が存亡の危機にある時に、ファミコンの株式ゲームソフトの企画・販売というリスキーな新規事業に関わりました。しかし、今考えれば、私がとるリスクは、ほとんどありませんでした
 会社の厳しい資金繰りを日々目にしているわけでもなく、株主でもないので「自分のお金」という意識もありません。お気楽なサラリーマン感覚で仕事をしていました。ゲームの開発といっても、優秀な常務をリーダーにしたアシスタントです。ただ、常務が考えた「幹」に、面白いアイディアを「枝葉」のように付け加えればよかったのです。営業や広報が難しいといっても、もともとブランド力が乏しい会社の「飛び込み営業」で社会人デビューしましたから、無関心や誹謗中傷にも慣れています。むしろ、新しい挑戦を、「会社や自分を育てるゲーム」のように楽しんでいた気がします。
 しかし、株主であり連帯保証人でもある社長は、きっと気が気でなかったでしょう。おそらく夜も眠れなかったはずです。経営者の立場ですから、私のように現場を楽しむわけではなく、実作業の大半はマネージャーやスタッフに任せなければなりません。細かいことに口を挟み過ぎると、社員のモラルが下がって、魅力の無い「無責任なものづくり」につながるかもしれないからです。
 その時の社長のプレッシャーや、辛さ・もどかしさは、莫大な負債を抱えた「構造不況業種のオーナー経営者」になって、はじめて実感しました。まさに「10年後は我が身」だったのですが、その時は気づきませんでした。

●「つらさがわからない」「他人のふんどし」だからこそ、思い切れる

 逆に、経営者のつらさがわからないからこそ、他人のふんどしで相撲ととっている若造だからこそ、思い切ったゲームを作り、斬新な営業や広報もできたと思います。もともと給料が安い新入社員ですから、減給も降格も怖くありません。会社の台所事情にも、業界のしがらみにも無頓着な新人ですから、怖いものなしだったのです。責任あるリーダーになる前に、失敗を重ねながらリスクをとる練習ができました。リスクを楽しみながら、予想を超える実績を味わう経験ができて、本当に良かったのです。
 ゲーム会社から証券会社に転職すると、あろうことか、まだ20代半ばなのに、相続診断システム開発の、実質上リーダーを任されることになりました。上司もずいぶん思い切ったことをしたものです。まさに「有り難いチャンス」をいただきました。  
 でも、ゲームデザイナー時代の自分は「気楽なアシスタント」に過ぎなかったことをすぐに痛感しました。リーダーになると、自分の頭で考え、自分で判断し、自分で行動しなければなりません。ところが、私は、システムの知識も相続税対策の知識も、基礎知識レベルしかなかったのです。もちろん税務相談の知識もありません。

●知識や経験のないからこそ、年上のプロの教えを受けられる

 しかし、いざやってみれば「案ずるより産むが易し」でした。知識が足りなくとも、専門書を10冊も読めば、システム開発や税務監修のパートナーと話ができるぐらいにはなれるものです。知識や経験より大切なのは「これまでに無い新しい良いものを作りたい」「その情熱だけは負けない」ことを、言葉と態度で示すことでした。心意気に共感してくだされば、はるかに年上のプロの方々が、貴重な経験談やノウハウも提供してくださるのです。もし、私が同世代の専門家だったら、馬鹿にされるか、ライバル視されるかして、教えを受けることは難しかったでしょう。また、意識していたわけではありませんが、「常識の無いシロウトゆえの斬新なアイディア」も、いくつか提案できました。プロの達人ほど「非常識」な提案を面白がってくださったのです。
 ですから、若くて知識が乏しいからと、ためらう必要はありません。若い時は思い切って飛び込んでも「崖」は想像より低いものです。崖が低いうちに勇気と知恵を磨きましょう。年を重ねて知識を積んでからリスクをとろうとしても、飛び込む「崖」は高くなっています。高い崖から飛べるのは、若い頃から飛び込んできた人だけです。

A.若ければ若いほど、知識も経験も乏しいほどチャンス!

【バックナンバー】

2013年05月07日(火)更新

【新著連載】Q07.なんのために「リスク」を背負うのですか?

Q.なんのためにリスクを背負うのですか? 

→「三方よし」の人生を謳歌するため

 リスクを背負う理由は、挑戦に満ちた人生を通じて、自分の実力を磨き、大きな達成感を味わえるという「自分のため=自己実現」ばかりでありません。世のため会社のためにも役立つ「他者実現」あればこそ、リスクを背負う勇気がわいてくるのです。

●お金にならない新事業への挑戦

 私が、「世のため」に、リスクのある新事業に挑んだのは、2007年のことでした。家業「久米繊維工業」の生き残りのために、私は、誰よりも早くインターネット活用を始めました。
 そこで思わぬご縁をいただき、日本有数の公的助成団体「日本財団」が「公的ネットワークCANPAN」を創設するお手伝いをするお誘いを受けたのです。これは、全国のNPO法人が、自らインターネットのデータベースやブログで情報発信をして、多くの人たちから広く支援を集めようという斬新なプロジェクトでした。その社会的意義と将来性は、私にもすぐに理解できました。
 しかし、まだ会社が経営危機を脱したわけでもなく、社長兼営業係として忙しく働いている状況です。聞けば、無給のボランティアですし、この仕事自体が、本業に役立つわけでもなさそうです。今でこそ、CANPANは日本最大の「公益ネットワーク」に成長しましたが、当時は、夢こそ広がれど成功の確証はありませんでした。しかも、「収入増=自分のため」にも、「仕事増=会社のため」にも、直接はつながらない、新しくて不確実な仕事です。
 みなさんなら、このリスクばかりでリターンが期待できない仕事を受けるでしょうか。
 私は悩んだあげく、この新事業に挑戦する道を選びました。お誘いくださった元日本財団の寺内昇さんはじめスタッフのみなさんの熱意と、日本をよくしようと奮闘努力する「草の根の社会起業家を応援しよう」という社会的な意義に共鳴したからです。

●報酬をもらわないからこそ「あるべき姿」を追求

 しかし、この起業体験は、私にとってかけがえのないものでした。未熟な経営者の私に大きな学びと出会いをもたらしてくれ、まさに「私のため」になったのです。
 報酬をもらっていないからこそ、まったく新しい仕組みだからこそ、しがらみなしで「あるべき姿」を追求できました。堂々と斬新なアイディアを進言できまたのです。また、CANPANブログ大賞などの私の企画案も実現してくださり、その審査委員長を務めるという貴重な体験もできました。
 そこで、私が感銘を受けたのは、日本全国に生まれ育ちつつある社会起業家たちの熱い言葉と行動力でした。「理想の小児がん病院をつくろう」「日本で初めての手話の学校をつくろう」と夢をネットで掲げて、それを実現していくNPOのリーダーたち。それは、まさにリスクを恐れず前進する起業家そのものだったのです。私たちが支援するはずの社会起業家のみなさんに、逆に、「夢を持つ大切さ」や「ネットワークで夢を実現する方法」を教えていただきました。これから社会起業家が作る「新しい日本の未来像」も思い描くことができたのです。
 さらに、「CANPANセンター」での活動が、思いがけず、久米繊維の本業や社会貢献活動ともリンクし始めました。「会社のため」にもつながることになったのです。
 まず、社団法人 日本メディアアート協会と恊働したチャリティTシャツアート展が、毎年、日本財団を主会場にして行なわれることになりました。CANPANとつながりが深いNPOのためにクリエイターがデザインするのです。Tシャツの販売収益がNPOに寄付される毎年恒例のイベントに育ち、全国を巡回するまでになったのです。  
 それから、あの悲しむべき東日本大震災を契機にして、日本財団と共同で、3.11復興支援Tシャツプロジェクトがスタートしました。被災地で積極的に活動しているNPO法人のために、Tシャツを製造してネット販売する新事業です。CANPANブログと日本財団での仕事で育まれた関係を通じて、心あるNPO法人との出会いがあったからこそ実現した事業です。もし、目の前の商売だけに忙殺されていたら、チャリティTシャツアート展や、復興支援Tシャツも、形になることはなかったでしょう。
 今実感しているのは、ただ「自分のため」「会社のため」にリスクをとるよりも「世のため」になる事業に挑戦するほうが世界が広がるということです。発想が変わって本来の自分の力が目覚めるだけではなく、多くの心ある人たちの力も結集することができます。「世のため自分のため」にリスクをとって、子孫に誇れる仕事を遺しましょう。
 
A.「三方よし」の人生を謳歌するため


【バックナンバー】

2013年04月26日(金)更新

【新著連載】Q06.「リスク」をとると人間関係はどう変わる?

Q.「リスク」をとると人間関係はどう変わる?

→A.社内外のキーパーソンと出会い、お客様の本音を聞ける

 リスクをとると、人づきあいの広さと深さが大きく変わります。これまで会ったことのないスケールの大きな人・元気な人や、厳しくも温かい言葉で本音を語るお客様・取引先と接することになります。それだけでもリスクをとる価値があるのです。

 バブル景気で浮かれる80年代に、私は日興證券で「ファイナンシャルプランナー」養成と、システム開発の新プロジェクトに参加しました。ただ株を販売するのではなく、貯金や税金の相談ができる「お金のホームドクター」を育てようとしたのです。
 しかし、これはリスクの大きな取組みでした。社員の多くは、株の知識はあっても、他社の金融商品や税制の知識はありません。面倒な資産運用プランなど作らなくとも、株が上がればお客様も喜び、販売にもつながる時代でした。その上、まだ私は20代半ばの若造で、ゲーム会社からの中途採用。金融の知識も、営業経験もないのです。
 ところが、このプロジェクトに参加したことで、私の人間関係は大きく広がります。

●社会の将来を考えるキーパーソン、自分の保身しか考えない中間管理職

 まずは、社内の人間関係が広がりました。
 小さくとも戦略的なプロジェクトでしたので、社長室、営業企画、システム企画、人事など、社内の企画部門の部長はじめ精鋭スタッフと、定例の会議で顔を合わせ、個別にも相談や調整に回ったからです。巨大な会社を実質的に動かしているキーパーソンの考え方、働き方を目の当たりにし、人間的な魅力に触れることができたのです。特に、私たち社外中途採用組を起用した社長室の稲葉喜一さんからは多くを学びました。
「今は株式営業で良くとも、将来は必ず米国のようにファイナンシャルプランナーが中心になること。だから今から進める必要があること。そのため、内のしがらみや過去の常識にしばられない外部人材が重要なこと」を教わったのです。同時に、自己保身しか考えないような「典型的なサラリーマン中間管理職」も目にしました。稲葉さんから、「大企業では役員目前の部長が、減点を恐れて一番リスクを取らない」ことも教わり、実感できたのです。

●お客様の本音から新しい相談スタイルを提案

 それから、社外の達人たちとの人間関係も一気に広がりました。
 なにしろお手本となるファイナンシャルプランナーが、社内にまだ誰もいません。マニュアルから研修プランまで、私たちがゼロから作らなけれならないのです。そこで、私は、社外で開催された養成講座に通うことになりました。まだ新しい資格だったので、講座には、感度の高い会計士、税理士などの先生方はもちろん、各金融機関から新規事業担当の精鋭が参加していました。講師陣も、新時代を切り開く著名人ばかりです。こうした金融達人たちとの交流は、私が経営者になった今も続き、大きな力になっています。
 そして、実際に運用相談をして、お客様との交流も広がりました。お客様が喜ばなくては、優れたシステムでもタダの箱に過ぎません。
 まずは、家族・親族・親しい知人など本音で語ってくれる人に、「証券会社をどう思うか?」「資産運用ではどんなことで困っているか?」と聴き歩きました。残念ながら「証券会社は信用できないので、困っていても相談しない」と判ったので「証券会社が普通は教えないことを話します」というお客様志向のスタンスで接することにしました。その結果、支店の講演会や相談でも、お客様は心を開いてくださり、良いシステム作りにつながったのです。
 さらに、新プロジェクトでは、現場で協業するパートナーとの関係を広め深めなくてはなりません。私たちの新システムを、支店のセールスレディが活用してくれるかどうかが、成功のカギでした。私より、はるかに証券知識も営業経験もある優秀な全国のレディは、「本社がまた無駄遣いをして新しい使えないものを作った」と思っていたはずです。営業予算が大きく、忙しい中で、まさにリスクをおかして新しい相談スタイルを試していただくためには、信念をもって繰り返し「お客様のためにも、セールスのためにもなる」ことを伝え続ける必要がありました。その中で、優秀で忙しい人ほど、新しいシステムに挑戦してくれたことは、今も忘れられない感動体験です。 
 もしリスキーな新事業に参画しなければ、私の人間関係は貧しかったはずなのです。

A.社内外のキーパーソンと出会い、お客様の本音を聞ける

【バックナンバー】
Q04.「リスク」と「リターン」を見極めるコツは?
Q05.「リスク」をとって得られる最大の学びは?

2013年04月24日(水)更新

【新著連載】Q05.「リスク」をとって得られる最大の学びは?

15万部突破!『すぐやる!技術』の著者であり、当「経営者会報ブログ」のプロデューサーでもある久米信行さんの次回作ご執筆原稿をリアルタイムで公開させていただいております! 
ぜひコメント、トラックバックをお寄せください。
 
Q.「リスク」をとって得られる最大の学びは?

→A.チャンスを見抜く知恵、事業を起こす実力

 本当の学びは、自らリスクをとって「成功の喜び」も「失敗の痛み」を体感することで得られます。学生時代の試験勉強のように、誰かにやらされた受身の勉強、答えが決まっていて、すぐに点数が判るような机上の勉強は「真の学び」ではありません。もう一度、成功してあの喜びを味わいたい、もう二度とあの失敗の痛みは味わいたくないと心から思うからこそ、自ずと勉強したくなるのです。
 そして、挑戦を繰り返すうちに、答えは「教科書」ではなく「現場」にあること、「リスク」と思っていたことが、実は「チャンス」だということを、「頭」ではなく「体」で理解することでしょう。

●リスクをチャンスに変える知恵は挑戦が教えてくれる

 私の社会人デビューは、ファミコンソフトの飛び込み営業でした。自社ソフトの発売日に、ある量販店に行ったら行列ができています。苦労して売り込んだソフトですから感無量です。それだけ確認して帰ることもできたのですが、どうも様子が変です。行列した子供が全員買うのではなく、グループの一人だけが買って、どこかへ去ってしまうのです。不思議に思って子供たちにどこへ行くのか質問すると「コピーしに行く」と一言。つまり、当時ディスクで提供されていたソフトを、子供たちは安価に違法コピーできることを知っていたわけです。私はショックを受けて、会社に帰ってすぐ報告。その後、自分で調べて「ディスクコピーの現状」をレポートを作成しました。社長に「ディスクで作ったソフトに未来はない」と進言して、受理されたのです。
 もしも私が量販店に電話して、売れた本数だけ確認していたら、もっと被害は広がっていたかもしれません。子供たちの異変に気づかなければ(リスク感知力)、次回作もディスクで作っていたかもしれないのです。そして、ただ落ち込むのではなく(リスク耐性)、自分で現状を調査して、思い切って社長に進言しました(リスク突破力)。
 この貴重な体験から、お客様との対話を自ら行なわず、データだけを見て判断する「リスク」を「体」で理解しました。現場に行って、自分の目で見て、自分の頭で考え、自分で動くことでしか、真のリスクを知ることも乗り越えることもできないのです。
 それから、リスクとチャンスが裏表の関係にあること、リスクをチャンスに変える知恵があることも、実際に挑戦をしなければ体得できません。

●10人中9人が否定したファミコンソフトが大ヒット

 日本初の「株式投資シミュレーション」のファミコンソフトを企画販売した時の学びも、私にとって大きな財産です。日本で初めてということは「売れるかどうかもわからない」ということです。問屋も小売店もリスクをおかして積極的に買えないということを意味します。さらに、価格を通常のゲームの2倍に設定するという冒険をしました。10人に話したら、9人が「売れっこない」という状況でスタートしたのです。
 しかし、私は飛び込み営業の現場体験から、流通業=プロの評価よりも、お客様=アマチュアの評判や、マスコミ発のクチコミが大切だということを理解していました。日本で初めてだからこそ、うまくPRすれば、評判とクチコミを生み出すことができます。当時はバブル景気の始まりで株式投資ブームが起こりつつありました。しかも、ゲームの監修は、すでにベストセラー作家だった株式評論家の松本享先生です。
 幸運にも、人財不足のベンチャー企業だったので、私は、このゲームの企画、営業、宣伝広報のすべてに関わることができました。新聞から深夜番組まで取材対応や出演をこなし、大手書店や玩具店の店頭でデモまでしました。マスコミやデモの評価は賛否両論で、半分は「子供に株を教えるなどけしからん」という論調でした。おそらく大企業だったら、批判的な評価を気にしてPRを控えるか、怒るかすることでしょう。でも、私たちは、某新聞社の社長から「良い評判も悪い評判も評判のうち=営業に役立つ」と教わっていたので、批判されることもリスクではなくチャンスだと感じていました。そして….結果は、売り切れ続出のヒット作になったのです。
 つまり、日本初の斬新な商品を作ることに挑戦し(リスクと裏返しのチャンス感知力)、人から売れないと笑われたり、マスコミの半分から批判されることに耐え(チャンスを信じるリスク耐性)、時代のトレンドを読んで、良いパートナーの力を借りる(チャンスを活かすリスク突破力)知恵を、このプロジェクトで学んだのです。 

A.チャンスを見抜く知恵、事業を起こす実力


【バックナンバー】
Q04.「リスク」と「リターン」を見極めるコツは?
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ボードメンバープロフィール

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くめ のぶゆき氏

久米信行(くめ・のぶゆき)

1963年東京下町生まれのTシャツメーカー三代目。

慶應義塾大学経済学部卒業後、87年、イマジニア株式会社に入社。ファミコンゲームソフトのゲームデザイナー兼飛び込み営業を担当する。
88年に日興證券株式会社に転職し、資金運用・相続診断システムの企画開発、ファイナンシャル・プランナー研修で活躍。
94年に家業である久米繊維工業株式会社の代表取締役に就任。

日本でこそ創りえるTシャツを目指し、グリーン電力とオーガニックコットンを生かす環境品質と、
クリエイターとJapanCoolを共創する文化品質を追求。
個人的なTシャツコレクションも数千枚に及び、全国のTシャツアート展・ワークショップ・エコイベントを支援する。

明治大学商学部「ベンチャービジネス論/起業プランニング論」講師。NPO法人CANPANセンター理事。東京商工会議所墨田支部IT分科会長。社団法人墨田区観光協会理事。

著書に、10万部を突破した『考えすぎて動けない人のための「すぐやる!」技術』(日本実業出版社)、
Amazonでビジネス3部門第1位を獲得した『メール道』と『ブログ道』(ともにNTT出版)がある。
連載は、「経営者会報」「日経パソコン」「日経ネットマーケティング」「日経トップリーダー」ほか多数。

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